話聞いてもらえるおじさん。

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あなたは「話聞いてもらえるおじさん」をご存知だろうか?
言うまでもなく、あなたは「話聞いてもらえるおじさん」のことは知らないだろう。なぜなら僕の造語だからね!

最近イベントで話したりSNSでつぶやくたびに静かに世間をザワつかせている「話聞いてもらえるおじさん」現象についてちゃんとまとめておかねばなるまい。

話聞いてもらえるおじさんとの邂逅

初出はこちら。

「いいい、いるいる〜!村のはずれの橋のたもとで見たことある〜!」

とハードコアパンクのヘッドバンキングのように頷く人も多いことでしょう。イベント会場や打ち合わせ、飲み屋の席で「だからさ、いつもみんなに言ってることなんだけどね…」と後輩やファンに格言調のエピソードを披露しているおじさんは、確かにこの世に存在しています…!

僕が「話聞いてもらえるおじさん」の存在に気がついたのは、とあるトークイベントの場でのこと。そのおじさんの話は巧みで、破綻がなく、気付きも学びも確固たるスタンスもある。

しかし、グッとこない。心、揺さぶられない。

「あれ、いい話聞いてるはずなのに、なんだろうこの違和感は…?」

と強烈な感じたわけです。これは一体いかなる現象なのか?と落ち着いて考えてみるに、言葉の使い古し感が僕に違和感を抱かせた原因ではないかと。
トークイベントが盛り上がる時って「話している本人もかつて口にしたことのなかったような新鮮な言葉や着想」が生まれる瞬間。つまり「ライブ」であり「フレッシュ」な瞬間に「これぞ「トークの醍醐味!」と感動がある。

・トークイベントはエンターテイメントだ!大御所バンドのツアーに学ぶ、お勉強イベントをエンタメに変える方法論

「内容」だけではなく「今そこに何か新しいことが生まれている気配」が人の心を動かす、はずなんだけど、人はキャリアのある時点においてこの「新たなものを生み出すスリル」を手放すことがあるのかもしれません。

話を聞いてもらえるおじさんの誕生

ちょうど同じようなタイミングで、今度はとある高名な評論家おじさんのワークショップを書籍化した本を読んでいたら、やはり同じように感じることがあったわけです。

「悪いこと言ってないんだけど、なんか押し付けがましい…。バブル期に栄えたリゾート地にあるログハウス風の喫茶店で飲む800円の水出しコーヒーみたいなフレーバーがする…!」

ここでもやはり「過去に自分のアイデンティティを確立させたエピソードを切り貼りしてる感」がスゴい。しかも本人もうっすら自覚しているのかワークショップに参加しているお客さんに「君たちの世代はこういうこと勉強しないと思うんだけど、ダメだよそれじゃ。頑張んなさいよ」と説教モードになることで己へのツッコミをブロックしていたりする。

しかるべきキャリアを積み、属する業界でそれなりの地位をゲットし、後輩に教え育てる立場になると「過去」への接し方が変わる。おじさんがキャリアを形成する過程において「過去」は「挑戦し乗り越えるもの」だったはずが、ある程度キャリアが形成されると「自分に利益をもたらすもの」になる。

すると過去の自分の武器であった「挑戦するメリット」が「失敗を犯すデメリット」に転化し、今の自分の武器である「型をなぞるメリット」とぶつかり合うことになる。このシーソーが「過去を守る」ほうに傾くと、悪い意味で己の「古典芸能化」が始まる(スゴい古典芸能は常に挑戦しているのだが)。

するとどんなに良いことを言っても、言葉のはじっこが腐っていく。
自分が「腐っていく」ことを自覚するのはツラいので、おじさんは「腐敗検知センサー」の電源を抜いて、物置にそっとしまう。そして前述の「過去の鉄板エピソード」の無限リピートに耐えられるようになる。

「話聞いてもらえるおじさん」は惰性の産物ではなく、努力の結果だ。そして費用対効果の良さでいえば非常に合理的なキャリアのピークでもある(既存のものの再生産なので効率がいい)。

しかもそこにはそれなりの「需要と供給」が存在する。「自分の青春を彩った本のエピソードを肉声で聞きたい」と願うカルチャーおばさん/おじさんが一定数存在し、トーク会場の前のほうで熱心にメモを取るのだが、しかしその内容はすでに過去の本に書いてある…!

このように「話聞いてもらえるおじさん」にはある種のサステナビリティがある。「ある種」というか、完成度かなり高い…!「前線で頑張ってる感」を失うかわりに得るものがいっぱいあるので「話聞いてもらえるおじさん」は拡大再生産されるのだね。

鶴見俊輔に見る「話聞かせてもらえないおじさん」という境地

最後に「話聞いてもらえるおじさん」としてのキャリア形成の対極の例として、哲学者の大御所、鶴見俊輔さんの例を挙げよう。

編集者の後藤繁雄さんの著書に『独特老人』というインタビュー本がある。吉本隆明さんや淀川長治さんなどの「各界の重鎮」に著者が話を聞きに行く、という体裁なのだが鶴見俊輔さんだけはインタビューではなく「対談形式」になっている。ていうか実際読んでみると「逆インタビュー」だ。鶴見俊輔さんが後藤繁雄さんに「自分の話はいいんだ、俺は若いあんたの事にに興味がある」と質問しまくるんだね。

これはスゴいことだ。鶴見俊輔さんは本の刊行当時80歳くらいのはずだけど、いまだ自分を「教える側ではなく、学ぶ側」だと信じている。つまり「これから変わる存在」だと信じている。か、カッコいい…!

キャリアを積み重ねていくある時点で「話聞いてもらえるおじさん」へのルートの分岐点に差し掛かる。自身を「チャレンジャー」と見なす道と、「成功者」と見なす道の分岐点だ。

【追記1】ちなみに僕は「話聞いてもらえるおじさん」になりたくないんですけど、これを目指すべきキャリアの終着点とする人ももちろんいるはずなので、選択は人それぞれ。

【追記2】男子だけザワつかせるのはフェアではないので、そのうちトーク会場の前のほうでメモを取る「元・才女おばさん」の問題についても取り上げる(予定)。

【追記3】下記の関連ブログもどぞ。

・東大生がバイトするなら、家庭教師よりもスタバのほうがいい理由。

・「話聞いてもらえるおじさん」になってはいけない。

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