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詩人とフーテンと美大生とドヤのおっちゃん

こんばんは、ヒラクです。
昨日のアサダくんイベントの話の続きをお話しさせてください。
イベント翌日の朝、滋賀から大阪に移動。念願の「大阪ディープスポット」を巡礼する。
お昼は鶴橋。大阪中心地から電車で20分弱の巨大な「コリアンタウン」。電車を降りた瞬間から焼き肉の匂いが漂ってくる。この街は、説明するならば「新宿の思い出横町的なバラック街に韓国エッセンスを注入し、百倍くらいの規模にした上に、築地的ナマもの市場まで併設してある」という、ものすごい「異境」なのですよ。
近鉄改札をくぐると、果てしなく続く「アジア的迷宮」。開高健の「日本三文オペラ」の世界(それでもだいぶキレイになったらしいけど)。いや?、すごいや。
上野の地下ショッピングセンターのように雑然として露店に、キムチとか乾物とか、ファッションセンターシマムラよりチープな衣料品が果てしなく積まれていて、かぐわしい臭気を放っていました。
なのですが昼食はお寿司(市場の隣だしね)。カウンター10席、建坪わずか3坪強の「入船寿司」。
ここ、とんでもなく美味しいです。鶴橋にお寄りの際は是非。
そこから日本橋へ移動。前日のイベントに来ていたSさんのお誘いで浄土宗の「應典院」を訪問。
僕、恥ずかしながら知らなかったんですけど、應典院ってすごーく面白いお寺なんですね。コンクリートの超モダン建築で、一階には図書館とセミナール―ム。二階には河合隼雄さんが広めたことで知られる「箱庭療法」
専用の部屋(!)と、芝居小屋が(暗幕の裏には仏像が鎮座しているらしい)!
住職の秋田さんは元映画プロデューサーで、今は(ほぼ)イベントプロデューサー。釈徹宗さんや内田節さんもここの常連らしい。良い出会いでした(それだけじゃなくて、どうやら近々ここで企画にお呼ばれことになりそうです。それも楽しみ)。
さらに西成(釜ヶ崎)へ移動。アサダくんがそのキャリアの初期のお世話になったというコミュニティカフェ「cocoroom」に遊びにいく。西成といえば、言わずと知れた日本最大の「ドヤ街」。街を行く人の80%がドヤの「おじちゃん」。100mに一つは「ビールの自販機」があって、定食屋のメニューはだいたい500円以内。
ん?、なんか違う経済圏ですね。
で、cocoroomはお茶一杯飲んだら帰るつもりが、なんとなくオーナーで詩人の上田さんと世間話をしだしたら、「みんなでご飯食べるからあんたもどう?」と言われ、小上がりで家ご飯を頂く。集まってきたのは、cocoroomでスタッフをするフーテン風(古いか)の若者、ボランティアをしている美大生女子、ドヤのおじちゃん、上田さんのちっちゃな娘さんなど雑多。全然肩書きの違うみなさまの話をポツポツ聞きながら、なぜかチラシの入稿を手伝う。
人々が集まり、語りあう、おうちみたいなカフェ
アート、カフェ、本、お酒、情報掲示板ノート、インターネット無料
大阪・西成にある商店街「動物園前一番街」のなかにあるココルームは、アートNPOが運営するインフォショップ・カフェ。アートと社会の接続点、人々のつながりをつくる場所をめざしています。
ちいさな店ですが、さまざまな人が集います。アーティスト、アクティビスト、高齢者、働く人、こども、旅人、、、世代も職業もばらばら。みんなで語りあえることを大切にしています。夜にはトークイベントやライブを開催しており、コミュニティの拠点となっています。
ココルームは情報交換の場所であり、発信の拠点でもあり、今日もオープンしています。

とHPにある通り、cocoroomはここ西成、釜ヶ崎というエッジーな場所において、とても「健全」な共同体づくりを行っている(と僕は思った)。「健全である」という意味は、清く正しいポリティカル・コレクトな人が集まっている、ということではなくて、その逆。詩人とフーテンと美大生とドヤのおっちゃんと子供という、「既得権益と無縁」の人たちが一緒にご飯を食べているというところだと思うんですね。
経済的なヒエラルキーとは違う次元で、寄り集まって、語り合う。困ったことがあったら相談に乗る。
そういうことがごく自然にできていることが、すごく気持ちがポカポカするんです。
思えば、自分が京都や大阪を始めとする「関西」に通い始めたのは、こういう文化風土が大きな理由でした。
京都の定宿にしているゲストハウスも、cocoroomみたいに地域の共同体の拠点になっている。しかもそれは、単に地元の住民だけでなくて、東京、あるいは外国の大都市を離れてきてきた「行き先が定まらないヤツ」も受け入れる場所になっている。そういう、地元密着な人も宙ぶらりんな人も、等しく「ユルい」時間の流れのなかで、こたつを囲んで鍋をつついて、お酒を飲む(だいたい安酒ね)。
こういうのって、東京では「テンポラリー(一時的)」なものとして捉えられがちで、「今、たまたまモラトリアム/自分探し中の連中」が集まる場所で、いずれみなさん自分の居場所を見つけてご立派になられるでしょう、という感じになる。
でも、京都(特に吉田寮周辺)とここ西成では、その状況は「テンポラリー」ではない。それはすでに「共同体の一つのありかた」としてしっかり根付いている。
詩人も、フーテンも、ドヤのおっちゃんも、いつか「卒業する」ものではなくて「そういうありかた」である、社会において価値のある人間である、それはつまり一緒にご飯を食べて楽しい、という風に捉えられている。
もし結果的に違う生き方になったとしても、それはそれだよ。私はいまのあなたと出会えてよかった。
そんな風な、bienvenueな気持ちがcocoroomには浸透している。既存の社会的なものさしではなくて、「いまそこにいるあなた」を無条件に認めることから始める関係。僕はそれをとても大事なことだと思う。
それともう一つ。應典院もcocoroomも、アサダくんがキャリア形成期に所属/お世話になったところで、そこを主催する大人たちは、アサダくんという「ヘンな風来坊(ごめんね、ヒドい言い方で)」を大事に見守っている。大阪(のある部分)には、そういう世代間の「相互の信頼」があって、結果的にそこには「イノベーティブな生き方」を育てる土壌ができているのだなと思った次第です。
世代間の、「闘争」ではなく「信頼」にもとづくアイデンティティ形成。僕はこっちのほうが好感を覚えます。
だって、僕たちは長い長い歴史の川の流れの「リレー走者」として存在しているわけじゃないですか。その事実を否定するのではなくて、肯定するところから自分の生きてきた20年とか30年とかいう短い時間を、もっと長くて豊かな時間に接続していきたいと思うのです。

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