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「美しいまち」というフィクション。

島村菜津さんの「スローシティ」を読んで考えたこと。

この本は、イタリアの「スローシティ」と定義される人口5万人以下の小さなまちの「郊外化と過疎化を免れるイケてるまちづくり」のプロセスと結果を取材してまとめたもの。
いかにも自治体の担当者やまちづくりに係わる人たちが「(日本と違って)イタリアでは〜」と好んで口にしたがるような事例がたくさん取り上げられています。
(こういう、「イタリアでは〜」「北欧では〜」みたいなのを『ではの神』と表現したりするそうな)

「美しいまち」というフィクション

さて。

で、この本を読んでおやっと思ったのは、「実はイタリアはかつて過疎化と郊外化に苦しんでいた」というくだり。
イタリアでも50年代以降に急激な工業化と、都市部への人口移動があったらしく「若者はみんなミラノやローマに行き」、「地元の商店や企業が次々に閉まり」、「大手の小売店や工場がそれに置き換わる」みたいな事を経験したそうです(たぶん今でもその流れは依然あるんでしょうね)。

そんな中で派手な観光名所を持たない田舎の小さなまちが「旅して楽しい、住んでも働いても楽しい、郷土料理も美味しいイケてるまち」を目指して色々なアクションを起こしていくわけです。
そこで、「どういうまちが美しいのか?」という再定義が始まり、一見何もないと思っていたその場所が、魅力的な場所へと変貌していく。

でね。そういうプロセスを読んでいって気づいたのが、美しいまちという概念は、実はフィクションなのではないか?ということなんですね。

えーと、何が言いたいかというと「美しいまちは、過去に存在していたのではなく、住民の未来への欲求のなかに内在している」のではないかという仮説です。

 

故郷に対する評価の低さは何が原因か。

話は変わって。
僕の両親が生まれたのは、母→佐賀の田舎、父→北海道十勝の田舎でした。で、両親あるいは祖父母の昔話を聞くと「いや〜、あの村は暗くて貧しくて」とか、「冬は寒くて寒くて死にそうだった。東京に来て天国だと思った」とか、あんまり自分の生まれたところの評価、高くないんですよね(残念)。

そういう話を聞くに、戦後工業化と郊外化(←中途半端な都市化)が進んだのは自分のまちに対する評価の低さが起因していたのではないかと思ったりします(もちろん全ての地域に当てはまる話じゃないですよ)。
さて。ここで疑問が出てきます。前の世代の「故郷への評価の低さ」とはいったいなんなのか。

第一の可能性としては、「田舎の景観の美しさやライフスタイルの良さ」を評価するものさしが無かった、という仮説です。僕たち世代の価値観からしてみれば、この説が自然に思い浮かびます。「都会に目が眩んで足元見れなかったんじゃなかろうか」ということですね。
第二の可能性としては、「実際そんなに良いもんじゃなかった」という仮説です。

数年前、金沢近郊の昔ながらの一軒家を借りて過ごしたことがあるのですが、まだ晩秋だというのに寒くて暗くて腰が抜けそうになりました。
確かに佐賀の田舎なんかは、過疎すぎて人が里山の手入れができないのであんまり美しい感じはしないんですよね(そのかわり玄界灘がものすごくキレイなんですけど)。

一度文明化した僕たちが見る田舎は、都合よく理想化されている。
それは真実でしょう。実際は暮らしにくいところや美しくないものもたくさんあります(そりゃそうだよね)。

 

美しい田舎まちという理想を現実化しようとする流れ

というわけで結論です(相変わらずマクラが長いね)。

スローシティの運動や、ここ数年日本の各地で起こっている「まちづくり」と称される一連の動きは「理想化されたものを現実にしちゃおうぜ」という動きなんだと僕は思うんですね。

「かつての美しさを取り戻そう」という、懐古的な意識ではなくて「田舎のキャパシティを洗練させた、まだ見ぬ美しい場所をつくりたい」という未来への意識が、僕たちを駆り立てている。

そうなのですよ。実は僕たちの求める美しいまちは、僕たちのビジョンのなかにある。
「かつてあった美しさは、郊外化と過疎化によって滅びた」ということではないのです(だって、郊外化と過疎化の前にあったまちは必ずしも「美しいまち」ではない)。

これから、素敵なビジョンを持った人たちが全国に散らばって、「美しいまち」をつくりあげていく(ていうかもうつくりはじめている)。

その時はじめて僕たちは、子どもたちに「本当にこの場所は良いところだ。あなたもここに住んだら幸せになるよ」という事ができるのでしょう。

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