発酵的ブリコラージュ。気候風土が生みだす野生の思考

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▶発酵的ブリコラージュ。気候風土が生みだす野生の思考ソトコト17年6月掲載

大好きなフランスの文化人類学者、レヴィ=ストロースの有名なコンセプトに「ブリコーラジュ」というものがある。

これはフランス語でいうところのDIY、日曜大工のこと。レヴィ=ストロースは世界中の神話を分析するなかで「こんなにも多様な神話が生まれた背景には、DIY的な方法論があるからにちがいない」と確信した。その気づきは、実は発酵文化にも当てはまるのだね。ということで今回は文化人類学の話でGO!

限られた材料から発想する

ブリコラージュの方法論とはなにか。僕なりにざっくり要約すると「目の前にあるものを集めて、それを並べる。そこから何をつくれるかを発想して組み立てる」ということ。日曜大工でも、道具箱から工具や余った木材やペンキを引っ張り出して「うーん、この材料だったら犬小屋がつくれるなあ」と発想したりする。それと同じようなことを、世界中の民族が神話をつくるときにやっていたのだね。

例えばエスキモーの文化だったら、そこには海があり、氷河があり、アザラシや犬がいて…という「材料」がある。それを組み立てると「お父さんに裏切られた娘が、海のなかで、犬やアザラシとともに神さまになる」という摩訶不思議な神話ができることになる。

世界各地で材料は違う。南米だったら熱帯雨林にカラフルな鳥がいて、中東だったら砂漠やオアシスにラクダがいる。その「材料の違い」が人間の文化の多様性

を生みだす。言い換えれば気候風土の違いが人間に文化の多様性を「生み出させる」と表現できやしないだろうか?

発酵はブリコラージュだ!

それでは発酵の話に移ろう。各地を歩いて思うのが「どうして世界中にこんなにも多様な発酵文化があるのか?」ということ。これって、レヴィ=ストロースの問いによく似ている。で、その答えも実はそっくり。世界各地で気候風土とそこに棲む菌の種類が違うからだ。レヴィ=ストロースは主著『野生の思考』のなかでブリコラージュの方法論を「雑多な要素からなり、かつたくさんあるといってもやはり限度のある材料を用いて自分の考えを表現することである」と定義している。これを日本の発酵に当てはめてみるとどうなるのかというとだな。

まず日本の農業の基本って田んぼでしょ。伝統的な田んぼでは、米の裏作で麦を育て、あぜ道で大豆を育てていた。米・麦・大豆が田んぼから導き出される「材料」だ。この材料を、田んぼや家に棲みついているコウジカビや納豆菌、乳酸菌などと掛け合わせる。すると、米から麹ができ、麹と大豆から味噌、大豆と麦から醤油、大豆をワラに包んで納豆ができてしまう。豆腐の味噌汁に、納豆かけご飯という定番のメニューは、田んぼの収穫物を「ブリコラージュ」してできるものだ。限られた材料を、発酵菌の働きと掛け合わせることで、毎日食べても飽きない多様なメニューを生みだすことができ、しかも原料そのものを食べるよりも栄養機能が高まっているというミラクル…!

日本人にとって当たり前すぎるこの定番セットは、エスキモー文化圏や中東の砂漠には存在しない。なぜなら材料自体がないからだ。

神話のブリコラージュにおいて、氷河やアザラシからエスキモーの神話が、山やヘビから日本の神話がつくられる。同様に発酵のブリコラージュにおいては乳を乳酸菌で醸す砂漠の発酵が、米をコウジカビで醸す里山の発酵がつくられる。

「物語のDIY」と「発酵のDIY」は、実は同じ方法論によって多様性が生み出されているのだね。文化人類学って、ホント役に立つ学問だぜ!

【追記】レヴィ=ストロースはブリコラージュの実践者を「器用な素人」と呼ぶ。発酵文化の起源も、無名の器用な食いしん坊が工夫してつくりあげたDIY文化なのだね。


 

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