暮らしのなかのゆったり感。『青葉家のテーブル』を見て感じたこと

僕の住む家は山の中すぎてテレビの地上波が入らない。
で、たまに東京の実家に戻って家族と地上波のテレビを見ていると「なんか情報量多すぎじゃない?」と感じてしまう。バラエティ番組やニュース番組を筆頭に、世界観が大事なドラマ番組すらせわしなくて疲れてしまう。

毎日色んな用事で疲れてるんだから、夜テレビ見る時くらいリラックスさせてよ!と思うんだけど、テレビ画面のなかは現実よりも忙しい。

「ゆったりできる動画コンテンツ」はもはや地上波のテレビには期待できないのかしら?

……というのは前置きの話。

本題は、仲良しの青木耕平おじさんが営む『北欧、暮らしの道具店』が最近リリースしたドラマ『青葉家のテーブル』のトピックスなのであるよ。

ECサイト発のドラマの「ゆったり感」

センスが良くて使いやすい雑貨ECサイトの草分け北欧、暮らしの道具店がオリジナルのドラマをつくった。しかもちゃんと予算と手間をかけて(主演は西田尚美さんだし、主題歌はサニーデイ・サービス)。

仲良しの友人のつくったものだけに若干見るのに躊躇があったよね。本業じゃない動画制作で、もし微妙な出来だったらどうしよう…。コメントしづらい〜!!
あるいは。そこらの映画顔負けの超スゴい仕上がりだったらそれはそれで僕は何も言えないのではないか…

と危惧していたのだけど、いざ見てみた感想はどちらでもなかった。

『青葉家のテーブル』は、昨今見ない「ゆったり感」に溢れている。
ストーリーも空気もテンポも「ゆったり」している。このフィーリングがとても好ましいと思ったよ。

制約がないことの贅沢さ

ストーリーや制作の背景の詳細はこちらを読んでもらうとして。
ビジネスサイドから「ECサイトがドラマをつくる意義は〜」みたいなことを語る人はたくさんいそうなので、僕なりの『青葉家のテーブル』の感想を言うとだな。

このドラマは「映画の空気感でつくったテレビドラマ」で、その結果「長尺のプロモーションビデオ」のような仕上がりになった動画コンテンツだと僕は感じた。

スポンサーの制約があるテレビドラマは、1話のなかにはもちろんCM前のタイミングで盛り上がる山場をつくらなければいけない、視聴率を取るためにトレンドのキーワードをたくさん盛り込まなければいけない…という事情でストーリーのアップダウンがやたら激しいものになる。

でもね。
『青葉家のテーブル』は一企業が純粋に作りたくて制作したドラマなので、そういう業界的な裏事情は関係ない。青木おじさんと店長の佐藤さんはじめ、スタッフの「こういう世界を見たい!」という美意識がノンフィルターでダイレクトに具現化されている。

その結果、ノイズの少ない、必要なだけの時間カメラを回して登場人物の感情の機微や、暮らしのディティールをすくいあげる映像になっている(僕が好きなのは、意味不明な言葉で短歌をつくってそれの感想を言い合うシーン)。
人の目をひく派手なキーワードやストーリー展開は、時として空気感のディティールを殺してしまうことがある。だけど『青葉家のテーブル』では、そういうキャッチーな要素が排除されたぶんだけ、この家族の一挙一投足に共感することができる。なんなら映像を見終わった後に自分の家族や、あるいはこれからできるかもしれないコミュニティに思いを馳せることができる。

こういうのがつまり「映像作品としての余白」であり、「ゆったり感」なのだね。

僕はこの短編ドラマを見て「テレビでもこういうドラマがあったらいいなあ…」と思った。それはこの映像が、今のせわしなくてどこかケチくさいドラマの「ほんとはありえた空気感」を体現しているではないか…と思ったよ。

そしてその空気感は同時に『北欧、暮らしの道具店』が醸し出すものでもある。
僕は別に「ブランドCMとしてよくできている」と言いたいわけじゃない。

そうじゃなくて、青木さんたちにとってECをやるのもドラマをつくるのも「世知辛くない、ゆったりした暮らし」を体現するためのアクティビティとして等価だ、ということなんだよね。モノを売って利益を出すのももちろん大事だけど、さらにその先に「自分はどのように暮らしていきたいのか」という問いかけがある。

なんだか社会がケチくさい、みんな自分のことばかり気にかけて殺伐としている。そういう世知辛さは人生におけるけっこうなストレスだ。このドラマにしてもECサイトの記事にしても『北欧、暮らしの道具店』にはそういうストレスを和らげてくれるゆったりとした空気が流れている。この空気感の突出具合が、逆説的に今の社会への問いかけになっている。

青木さんにとってのビジネスとは「問い続けること」。
だから「問いの可視化」としての映像制作はけっこう必然性があることだったんだと僕は思うよ。

…と、ビジネスと切り離して純粋に映像作品としての話をするぞ!と意気込んだものの、やっぱり無理だったぜ。ビジネスとしてのエモさがこのドラマを必然的に生んだ、と考えるのが自然なのかもしれませんね。

青木おじさん、第二話はよ!

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