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文学青年はHIP HOPへ向かう。

こんばんは、ヒラクです。クリスマス・イブですね。

僕は今日は家から300m圏内で過ごしました。ゴロゴロして本を読んで、料理して昼寝してお風呂入って近所のお気に入りの飲み屋さんに行く。あちこちノマドに仕事しているとこういう一日が天国に思えるんですよね。そして明日も友達たちと我が家で宴会。年末は、もう外出しないでリラックスするぜ!

…で、家でのんびりしながらヒラクがはまっていることは、youtubeやi tunesで「最新のHIP HOP」をdig(掘る)こと。周りにBなBOYたちが多い事もあって「最近の日本語HIP HOPはどうなっているのかしら?」と、色々と調べてみたのでした(思えば僕が10代の頃はとにかくレコード屋さんに行かないと最新の音はわからなかったのだけど、今はyoutubeとgoogleの使い方がわかっていればOKだから、時代は変わったよね)。

その結果、色々と感じた事があったのですが、まずは「これは素晴らしい」と思った実例を2つ紹介します。
TABOO1 feat.志人 「禁断の惑星」 Produced by DJ KENSEI

新天地探し 新人類
未知との出会い 知的生物
占領し独占 洗脳し抑制
経済発展 競争社会の行く末
人工衛星 監視体制の下
ボタン一つで瓦礫の山と化す
産んだ発明で自らを滅ぼす
自業自得と神が涙流す
ここは禁断の惑星 忘れ去られた革命
漠然とした雑念の広がる発展の脱線
核戦争に敗れ悪戦苦闘する文明
君の住む楽園の百年後
太陽なんてとうの昔に死んだよ
地下の核シェルターで人間は細胞のみでの生活を始める
機械任せで未来泣かせな博士の異常な愛情により
バイオ倍増し大量のプルトニウムの雨が地上では降るという
連ねた理由など無いのに上辺だけで比べたりするから地球は宇宙の中で孤立化する取り憑かれて疲れたプラネタリウム
アイロニカルな最後になるか愛を抱くか君自身が太陽になるんだπの解を担うパイオニア先読みな
再処理は早いところ対処しないと防壁破り砲撃の恰好の標的
誤作動により放射能汚染 オーバードーズした六ヶ所
国家暴力 目下冒涜を説く 教科書じゃ消化不良だ 坊や
土天地火木水金海冥
移り住む高度発達した文明 ファンタジーかマジか分かるいつか
抽象を重ねたイメージのBIGBAN
ここに異端貸し付ける目印 目に映る景色 残されたメッセージ
結果が証明 生き残る方式 全て常識 Let’s go next stage
あっという間に ほら 皆のら 手の平の上で転がるワーキングプア
灰色の空 藁に縋る飼い主探し 一心不乱 並べたどのツラ
群がる権力 拾われたアイツら 所詮雇われ 愛想よくしてりゃいい
飼い馴らされてヘッドギアはめて情報操作 機密工作
洗脳されたイデオロギー 強制収容されるコロニー
独裁者が奴隷操るパペット スモールプラネット
天使の羽もぎれた成れの果て 生きていくためにあらゆる神を受け入れ
遥か彼方 昔のカルマの洗礼受ける 黒幕のジャッジメント・ディ
理解されるまで何回サンライズ リーガライズされる前 屍じゃ意味がない
この道の先駆者 誰が代弁者 洗脳する脳内 Open your eyes
ありもしない神のうわさ話ばかりにぶら下がりうたかたに
素晴らしきつながりに目を向けず暗闇に砂かじりつまはじき
草花に憂さ晴らし 恨みつらみ妬み僻み海原に放って
今すぐに 知らぬふりはよせ 後世に残せそれぞれの個性
この世に何かを残すことで永遠となる人生の目的
時を超えた思想と生まれ変わり再開
喜怒哀楽 留める記憶の鍵
何を感じ 何と繋がる 愛を忘れりゃ全てを失う
羨望を味わう孤独な独裁者よりも 弱者を照らす輝くスーパースター
例えこの身が滅び朽ち果てようといつまでもささやかな幸せが此処に有ります様に
青い地球を守り抜くアフォリズム 後いくつ数えれば悟りの里にたどり着くのだろう?
足跡に次ぐ 星は後に継ぐ 借宿に棲む 大家族地球人よ旅が呼ぶ
マシンガンを捨てカリンバの羅針盤を手にいざゆかぬかブラフマン
ありもしない神のうわさ話ばかりにぶら下がりうたかたに
素晴らしきつながりに目を向けず暗闇に砂かじりつまはじき
草花に憂さ晴らし 恨みつらみ妬み僻み海原に放って
今すぐに 知らぬふりはよせ 後世に残せそれぞれの個性

ルネ・ラルーの「fantastic planet」をベースに、キューブリックの「博士の異常な愛情」やダーレン・アロノフスキーの「π」の映像をマッシュアップした黙示録的なPVに乗せて語られるこのリリック。手塚治虫の「火の鳥」や諸星大二郎をルーツに、「進撃の巨人」なんかを彷彿とさせる「ダークなSF的イマジネーション」が爆発。しかもそこにある種の「エンライトメント」な要素も入ってくる。
ありもしない神のうわさ話ばかりにぶら下がりうたかたに
素晴らしきつながりに目を向けず暗闇に砂かじりつまはじき
草花に憂さ晴らし 恨みつらみ妬み僻み海原に放って
今すぐに 知らぬふりはよせ 後世に残せそれぞれの個性

DJ KENSEIのトラックも相まってこれは「黙示録的HIP HOP」というよくわからない領域を切り開いたマイルストーンなのでは…と思うわけです。

そしてもう一曲。

EVISBEATS 「ゆれる」 feat. 田我流

この心がゆれる時がある
それはバイト帰りのサンセットだったり
本の中に答えを見つけた時だったり
季節の変わり目を感じた時だったり
またはステージの上でHIGHな時だったり
好きな娘とまったりな時だったり
たまたまDIGした一枚のVINYLだったり
感動して落ちた涙だったり
生きてるって実感を味わうその瞬間
ほんの一瞬、その一瞬を求めて
猫みたいなBITCH 追いかけるのに必死
人生の見せる美しき1シーン
そのまた不思議なパートに魅せられ
とどのつまり夢から夢を綱渡り
社会から見れば窓際の人
でもいつに生まれても「俺は俺だ」と
時代に合わせ呼吸するつもりはない
人であることを選び 求めるLOVE
DOORSのようにLIGHT MY FIRE
あのJAZZMANみたいにNEVER RETIRE
音の中に生きると決めたこの人生
まだまだ未熟で俺は小せぇ
でも、どうせやるならばこのまま挑戦
誰かがゆれるための曲を書こうぜ
今日は残りの人生の始めの1ページ
まだまだやりたいことが山積みさ
IT’S A HISTORY CALLED BOOK OF LIFE
I JUST RELEASE MYSELF TO GO UP ABOVE
いつものいつものこの道を歩いていこう
人種も政治も宗教も要らないとこ
ステージへと続く俺のこの道を
SWINGしてBOPしてHIPしてHOPだろ
俺はイカれた音楽家 無二のMILESTONE
BEATのCONDUCTOR 果てるまでSING A SONG
咲かそう枯れ木に花を
踊ろう時には土砂降りの雨に打たれて
早すぎて流されがちな日々にふっと
何もかも変わっちまいそうな気がするけど
そんな時ほど心に太陽を
なるようになるさと言い切れる勇気を
ゆれる 風に
ゆれる 明日に
ゆれる 分からずに
だけど、弛まずに
LET’S GET IT ON HA?? バラ色の日々
遠回りばかりでも悪かない別に
ゆれる ゆれる 胸が 胸が
ゆれる ゆれる 胸が 胸が
ゆれる ゆれる 胸が 胸が
ゆれる ゆれる 胸が 胸が

HIP HOPって、元々アメリカの黒人ギャングの若者たちの文化から生まれた音楽。
「オレが最強だし」的なアイデンティティを競うマッチョな音だったわけです。ところがこの曲。PVを見てわかるように、強面のラッパー田我流が地元、山梨の実家で朝起きるシーンから始まります。たぶん家族が出払ったぐらいの遅い時間に起きて、リビングで1人、(たぶん親が買ったファンシーなティーポットで)お茶を入れ、タバコを吸う。そして何も無い近所の駅(塩山駅)で自転車に乗りながら無為を過ごす。

そんな、今多くの若い人たちが置かれているであろうリアルな状況に、EVISUBEATSと田我流はある種の「肯定感」を抱いている、というか、無理に「強がらない」姿勢を貫く。そしてそれをごくナチュラルに受け入れながら、「オレはHIP HOPが好きだ」「オレはオレの選ぶ生き方で生きていきたい」ということを切々と語る。

…これって、ある種の「日本文学」だと思ったんですよね。

「禁断の惑星」にしても「ゆれる」にしても、もはやNYのブロンクスで発生したHIP HOPからは全く違う流れに辿り着いている(といって、ヒットチャートに入ってくるようなお気楽な「人生応援ソング」みたいな安い音楽でもない)。今自分たちが生きている歴史的な文脈を踏まえたうえでのことばを紡ごうとする意志がある。

今から30〜40年前だったら、こういう志向を持つ青年たちは「文学」に向かったのであろうと思うんですね。だけど、現代の感性鋭い青年たちは「HIP HOP」へと向かう。
「自分はどのように生きるのか」「文明はどのような方向に進んでいくのか」。こういう「近代文学テーマ」を、論理的に「縦に」ことばを積み上げていくのではなく、身体に働きかけるように「横に」ことばを紡いでいく。自分のいる場所を、冷静に分析しながら、その上で自分の魂の在処を賭けられるような、今までなされなかったような「飛躍の場」を求めて表現を追い求める。

良いか悪いかは別として、日本のJ-POPは明治以降の近代文学の土壌と合流することで、その固有のアイデンティティを得たのだ、と思ったのでした。

…とそこまで書いて気づいたのですが、やっぱりHIP HOPって、一曲だけで完結した物語にはならないから、畢竟「いかに短いセンテンス」のなかで「空間的」「暗示的」になり、かつマイクリレーという形で「他のラッパーに引き継がれる」という性格を持つことから導かれる通り、小説というよりは「短歌」を「連歌」していくというような形に発展していきているのかも。

ここでも「前近代的精神」のルネサッンスが起こっているのかもね。

【追記】ちなみにこの二曲のyoutubeにおける再生回数は40〜50万回で、いいね!のついた数も同じくらい。これぐらいの数がマスに達さない中の「最大公約数」だと思う。恐らく、ある世代に置いて切実なリアリティが表出してくるのがこれぐらいの規模のメディアなんでしょうね。

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