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年始の予測。今年はどんな年?

明けましておめでとうございます。ヒラクです。年始年末、みなさまいかがお過ごしでしたでしょうか?

僕は31日~翌1日元旦まで、五年目を数える恒例イベント「いい日高萩年末年始パワスポ旅行」に参加。毎年20人ほどの物好きが集まってサロンバスを貸し切り、日本各地のパワースポットで年越しを迎えるという楽しいイベント(ちなみにイベント名は、ヒラクの幼なじみの高萩君が幹事であるところから命名。彼は毎年徹夜で参加人数ぶんの「おせち弁当」をつくってくるナイスガイです)。今年の舞台は奥日光。断崖絶壁の坂を標高1300m近くまで登ったところに突如出現する秘境、川俣温泉郷で楽しく飲み明かしてきました。

今年はコミュニティ内で結婚したり付き合ったりしたカップルが多数。なんとなく楽しい「サークル」から子孫繁栄を願う「村落共同体」的なサムシングへの移行が始まっているのでは…(最近、このパワスポ旅行に参加すると「良縁がある」といった類のデマゴーグが流布しているそうな。)

さて。その川俣温泉郷で夜、温泉に入りながら「2013年はどんな年になるだろうか」予測をしてみました。当たるも八卦当たらぬも八卦ですが、僕は「そのようになる」という前提で一年間行動をするので、そこから実際にフィードバックされる要素が、合同会社++のもたらす何かしらのインパクトに寄与した場合、実際には小さな部分だと思われますが「そのようになる」と予測したことが現実になるという算段になるので、この「予測」は少なからず「当たる」という風に断言してもいいかなと思います(自分勝手なロジックですけど)。

では、各論に入る前にまず大まかなフレームを考えてみます。

それは「今年はいよいよ既存のフレームが派手に壊れ始める」ということです。

これは、不況とか領土問題とか災害みたいな、政治的「外圧」ではなくて、内発的な「疲労骨折」みたいな感じで壊れそうだな、と思っています。

ヒラクは高校時代、陸上部で中長距離というなかなかにストイックな競技をやっていました。で、夏の合同合宿とかでよく、前をジョギングしているナントカ高校のエースの足が突然「ぐにゃっ」とありえない曲がり方をしてもんどりうって倒れたりするんですよね。

「あれが疲労骨折だ」とF先輩のニヒルな顔を見て、ヒラク少年は「人生あんまり頑張り過ぎないのが吉だな」と胸に刻んだ覚えがあります(その甲斐あってか僕はこまめに練習をサボったのでほとんど怪我をせず、けが人続出の陸上部のなかで相対的に「速いヤツ」になった。でもそれじゃあ本当に速いヤツには勝てないんだけどね)。

そんな感じで「コーチの言われたタスクを生真面目にこなしすぎたら足が折れた」みたいなことが日本の政治経済及び社会の諸制度で続出するのでは…と思っています。

こないだの衆院選や都知事選では、なぜか「戦後のオールドスクールな党派」に民意がシフトしました(小選挙区制だから実際には大げさなエフェクトがかかってるけど)。これはあくまでヒラクの所感ですけど「言葉が革新的になるのに反比例して、行動が保守的になる」という心理状態の現れではなかろうか、と思うのですね。このねじれの構造が、「ラディカルに方向転換する必要がある時ほど、妙に保守的になって何もしない」という、みんなが「なんでよ?」とやきもきする現象を生み出す。

ヘンな例えですけど、身体感覚がだいぶマイルドになったおばちゃんが乗る自転車と道ですれ違う時、おばちゃんが「キャッ」と印象的なシャウトを発しつつ、なぜかその場で自転車を降りて道をふさいじゃったりするじゃないですか。本当は危機的な状況まで向かいの人が迫ってくる手前で運転方向をコントロールすればスムーズにすれ違うことができる。だけど、身体感覚が低下してくると「もうアカン」という状況にくるまで危機を察知できない。そして発作的に自転車を降りてなぜか「すれ違うスペースをつぶす」という現象が起き、結果こちらも急ブレーキをかけざるを得なくなり、おばちゃんの「もう、危ない運転して、気をつけてよ!」という説教をくらったりする。こういう現象が起きないためには「体幹」を鍛えるべし、とかつて気流法の坪井先生に教えられました。

…またもや話が明後日の方向に反れたようで、実はそうではないのですよ。

「自転車のおばちゃん」を例にとると(すいません、また不用意に敵を作りそうな例えで)、ここ数十年、「党派性に思考を拘束されずに政策を吟味する」という、政治マターにおける「体幹」をさんざんマイルドにした経緯があるなかで、突然「なるべく不特定多数の国民にベネフィットが行き渡り、生態系の撹乱を抑え、若者の未来を明るくし、各自治体の権利委譲を推進する」みたいな既存のメジャーな党派性にあんまりあてはまらない政策を提示されたところで、マイルドすぎる体幹は反応しない。結果、「突如自転車を降りて道をふさぐ」みたいな発作反応でもって「いきなり戦後すぐのオールドスクールに戻る」みたいな行動が続出する。

これは僕も何度もブログで書いていることですが、デザインの現場でもよく起こる。「新しいことに挑戦したいんだけど」と言われて「はい、新しいものです」と提案すると、「これは面白いけど、ちょっと現実的じゃないね」と却下され、その後なぜか再びオールドスクールな施策が勢い良く始まってしまったりすることを何度も見てきました(詳しくはコチラの記事を一読あれ。)。

恐らくその種の人たちにとっての「新しいもの」は、「未来を切り開くために必要なもの」ではなく、逆説的に「前の体制に戻る口実を作るためにとりあえずチラ見するもの」なのではないか、と思ったりするんですよね。「イノベーションが何だとか騒いでいるけど、大したことないじゃないか。やっぱり高度経済成長を支えた俺たちのやり方が正しいのだ、ぐははははは」とか思ってるのではないか(すいません、これはヒラクの被害妄想が入っているかも)。
さて。

そんな次第で、ここ1,2年での「再生エネルギー」とか「地方自治権」とか「人への投資」で「ソフトな公共事業」とか「コンパクトシティ」なんていうホットワードは「自転車のおばちゃん理論」により「原発推進なんちゃら」とか「東京オリンピック招致」とか「やっぱコンクリートに投資」だから「ハードな公共事業」で「やっぱ駅前再開発で高層建築デベロップ祭り」みたいな「現実的おとしどころ」にクルリとひっくり返る。

それが去年の流れだった、と振り返ってみると言えなくもない。しかしですね。そういうことをしていると、ナントカ高校のエースみたいになるんですね。「疲労骨折」する。

「生産人口減りまくり」だけど「地方自治体に回すお金本当にあるかどうかわからん」けど「大手メーカーとか金融機関が中国とかインドとなに買収されちゃうかも」だけど「まだ走れる。まだいける」と思っているうちに「ぐにゃっ」ともんどり打って倒れる。別に誰かにケリ入れられたり、車に轢かれたりしたわけじゃないから、倒れ方としては「地味」だけど、まあ走れなくはなりますわ。

こういうことが今年は起こる、というか起こる前提でヒラクは行動する。

なんでそんな風に僕は確信するのか。それは、実は多くの人がこの「疲労骨折」を予期しているからこそ、実は「超保守的」になっているのではないか…と思うのです。「何かが崩壊する直前」に人はどのような行動に出るのか。

比較的大多数の人は「何もしない。むしろ崩壊するものにより一層ぶらさがる」という行動に出る。それはノーアイデアのプランではなくて、意外に戦略的な選択だと言えるかもしれない。というのも、「倒れつつある木にたくさんの人がぶらさがると、速攻で倒れる」から、システムに依拠しているようでいて実は「木を倒そうとしている」というアグレッシブな行為ともとれるし(しかも厄介なことにそう「とれる」だけで、「いやいや、私は別に何かに反対なんてしてませんよ」とも主張できる)、かつ「木が倒壊したのは、別に私の責任じゃありません。突然のことで何がなんだか…」と呆然とすることも許される。

つまり、「被害者」的ポジションを確保しつつ「加害者的行動」を取ることができるから、自分の望む未来を、誰かからのクレーム無しに実現できる。そしてある程度時間が経った後に、「ほらね、だから私は前々からこうなるって言ってたんですよ」と主張できる…という、やっている本人すら意識化できないほど「巧妙な作戦」であり、多くの人が「訝しいほど保守的になる」のは「実は倒れそうな木にあえてみんなでぶらさがる」という、ナントカ高校のエースに「もうダメだと思った時からが勝負だぞ!」とゲキを飛ばす鬼コーチを装った破壊工作であると、ヒラクは深読みするのです。

あらあら、「今年はどんな年?」とかタイトルを付けたわりには、前段だけで嫌がらせのような長文になってしまった。

「具体的にはどうする?どうなる?」については、また次回以降の記事で考えてみましょう。

では今年も、愉快かつ朗らかに一年を過ごしましょう。

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