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「宣言」から始まる可能性

こんばんは、ヒラクです。今日の記事は、先日の「仕事の価格」の話を書いている途中で思い浮かんだ別のお話(いつもの、アウトプットからアウトプットが生まれる状態)。
3年前に独立してから、思えばたくさんの企業の経営者と会いました。地域も規模も業種も世代もさまざま。そのなかの少なからぬ人たちから仕事の依頼を受けました。その経験を経て強く確信するようになったのが、ガラガラポンの経済はもう、存在しないということです。
「ガラガラポンって何さ」って話ですが、これって屋台とか映画館でライブでつくるポップコーンのイメージです。小さなトウモロコシの種を入れると、ポンポン膨らんで何倍もの量(かさ)になって出てくる…みたいなことね。
小さなトウモロコシの種が「設備投資」とか「何人雇用」みたいなもので、ポップコーンが「売り上げ→利益」です。
需要のありそうな業界を選んで、これこれぐらいの設備と人を揃えると、割とスムーズにお客さんが見つかって利益が上がる…という、非常にシンプルな仕組みです。
僕は高度経済成長はおろか、バブル期も知らない歳だから、地方のそこそこの規模のメーカー企業の社長さんから「ガラガラポンの時代」の話を聞いて「おお、マジかよ」と驚いた記憶があります。
おお、マジかよ。そんな単純な仕組みで経済活動が成り立っていた時代/場所があったのか。
このブログで何回も繰り返し話していますが(ごめんよくどくて)、これって典型的な「需要拡大モデル」ですよね。モノが足りないから、それを生産する体制を整えれば、大手メーカーとか地域のお客さんが買いにきてくれる。ヒラク的にはそれは「3丁目の夕日」的に彼方へと去ったノスタルジアだと思ったのですが、どっこいつい最近まで第一次・第二次産業(特にBtoBの現場)ではそれがまだ存在していたのでした。
「つい最近まで」と書いたのは、「今はほぼ成り立たなくなっている」からです。思えば僕が今のスタイルで活動を始めた頃が、サブプライムローンのダメージが日本の製造業を激しくノックアウトしはじめた直後だったから、その時が「需要拡大モデルの死んだ時期」だったのでしょう。
若い人口が増え続けると消費が増えるので、消費されるものを提供するひとは人気者になれます。でも逆に、若い人口が減ってくると消費が減るので、消費されるものを提供するひとは余ります(あまりにも当たり前な話ですが)。
そんななかで人気者の位置を維持するためには、個性やスキルや存在価値をアピールする必要が出てきます。端的にいうと、この作業を具現化するのが「ブランディング」というものなのですね。
ここに最近は、マスのメディアを使う「広告」という長らく王道だったアピール方法が力を落とし、かわって「中ぐらいの規模のメディア」がたくさん出てきたので、その「アピール方法を考える」という作業も必要になってくる。
経営者が若くて感受性が新しかったから、「生産体制を整える」ことと「価値をアピールする」ことの両軸をごくナチュラルに回す。そして僕はそういう企業の下で働いていたので、それを「ごくあたりまえ」のように思っていたのですが、実はあたりまえじゃなかった。
…だからこそ、駆け出しで子供だったヒラクにも仕事のお鉢が回ってきたのだと思うんですよね。「ガラガラポン」方式でアイデンティティーを作ってきた人たちから「新しい手を打たなければ、変わらなければ」という相談があったわけです。
それで色々と試行錯誤して失敗したり成功したりしてきて、ある程度の経験がたまってきた今だから言えることがあります。それは、ガラガラポンで形成された人格は、原則変えられないということです。例えば50歳過ぎた人に、「明日から違うアナタになってください」と言ってもしょうがないじゃないですか。それと同じことだと思うんです。「新しいことが必要だ」と口では言っても、じゃあ「はい、これが新しいものです」とアイデアを差し出されると、「いや、面白いけど、ちょっと現実的じゃないよね…」といってまたぞろガラガラポンを再開する…ということが恐らく日本各地で日々繰り返されているはずです(お互い疲弊するよね)。
あまりにも率直なお話になってしまいますが、例え僕がどんなに知恵を絞っても、表面上の予算を増やしてもこの「パラダイムの危機」は回避できない。かつてのパラダイムを体験していない人たちに、経営権を渡してしまう(それが難しければプロジェクトの決裁権を渡してしまう)ことが必要です。そして、来るべき次の経済に仕組みに船出していく必要があります。
…じゃあそれは何なのさ?「もったいぶってないではよ教えんかい」という話ですよね。
それがですね、まだハッキリとは定義できないんですよ。とりあえず言えることは、「投資」と「リターン」の関係性が非常に複雑になっている、ということがまずあります。例えばある「リターン」が出たとする。でもそのリターンが出る前にやったことが、「ファンと一緒に交流会」と「FACEBOOKでのコミュニティー作り」と「サービス/商品の品質向上」と「WEBサイトに会社の理念をきちんと体系化して掲載すること」と「人事教育の見直し」だったとしたら、どれがどうリターンに影響したのかよくわからないじゃないですか(テレビCMを流した直後にいっせいに電話が鳴った、というのが投資とリターンがリニアな関係の例です)。
さて、こういう状況だと通り一遍の「事業の数値予測ができない」ということになります。原因としては、「販路づくり」の方法(つまりお客さんを見つける方法)で、「これだったら間違いない」というものが無い、ということがあります。ちょっと前だったら、「通販モデル」というのが限りなくガラガラポンに近いものでした。原価率が低くて(利益率が良い)小さくて(ロジスティックスの負荷が少ない)定期的に買ってもらえるもの(継続的な収益が見込める)ものを、新聞やカタログの折り込みチラシや、テレビの通販CMという「ニッチな枠」を使って広告する。これはかなり「見通しがきく」モデルだったので、ベンチャーも大手もこぞってこのモデルに飛びつきました。その結果、何が起きているかというと、モデルが平準化しすぎて、広告の費用対効果があまりにも高く付きすぎるようになった。
…なので、以前よりもずっと参加障壁が高くなってしまった(それはつまり、既に勝っている人たちがより勝つフェーズに以降したということです)。
ええと、何の話をしていたかというと、「事業の見通しがたたない」ということですよね。
そうなんですよ。なにせ「これをやったら、こうなる」みたいなことができないので、見通し立つわけないですよね。「1億円かけて生産ラインを確保し、年商10億円ぶんの商品をつくり、雑誌やTVで1億円広告をして売る」みたいなことって、「絵に描いた餅」でしかないと思うんですよね(今この瞬間そういうプランを作っている人、すいません)。
で、最初僕の仕事って一瞬、「TVとか雑誌とかに頼らんでも年商10億上がりますぜ」みたいなことかなと思ったりしたこともあったんですけど、実は全然そんなことじゃない(たぶんそれは大手の代理店とかリスティングとかSNS運用に強いWEB制作会社さん)。
「見通しが立たない」としても、「思ったように儲からない」としても「すぐに人気者にならない」としても、それでも「あなたがこの仕事をする理由はなんですか?」「あなたを突き動かす想いはどこから来るのですか?」「あなたは誰にとって、どんな風に役立つ存在でいたいのですか?」ということを一緒に考えていく、それが当初から僕が無意識にやろうとしていたことなのでした(キャンペーンをやるとしても、その軸に沿って考える)。
で最近辿り着いた暫定結論。
この必然性のデザインが確立すると、「急がば回れ」的に時代をサヴァイブできる基礎体力がついていく。なぜかというと、時代のトレンドがころころ変わっていっても、「一貫した姿勢」を保つことができる(細かい戦術は変えていきますが)。だって広告出稿する媒体は変わっても、「仕事をする理由」はそんなにころころ変わらないもの。だからどんなメディアでその人たちを見たとしても「メッセージに一本筋が通っている」。
それって、メディアの主戦場がマスから「中ぐらい」に移った時の非常に有効な戦略だと思うんですよね。つまり、毎日毎日「塵も積もる」式で「いいね!」がたまっていく(FBが無くなってとしても信頼は「ゼロ」にはならない)。根本のスクラップ&ビルドを激しく繰り返さないから、中長期で見た時に「ブレイクスルー」することができるのではないか…と僕は思っているのです。
非常事態のときほど、小手先のことで右往左往しない。むしろ、自分の足下の「なぜ自分が存在しているのか」「自分を存在させているものは何か」を静かに問う…というようなヤツのほうがなんか「カッコいい」じゃないすか(で、そういう資質の人はまだまだたくさん世の中にいるのですよ)。
さて、もう一度「事業の見通しが立たない」という話に戻ります。
「見通しが立たない」なら「予測はいらない」ということになりそうですが、ヒラク的にはそれはオススメしません(資金調達できないし、人も雇えないし)。
ではなくて「未来の見通し」から未来の宣言へと考えをシフトするのが良いんじゃないかなと思います。
「いくらいくら投資したら、これぐらい売れる」という「非人称」的な予測ではなくて、「私はこういう未来を実現したいから、いくらいくら投資して、これぐらい売る」という「一人称」的な意志のあらわれとして「事業計画=ワタシの夢実現宣言」をつくる、というのがこれからのトレンドになるであろう(と、たまには予言っぽいことを断言してもる)。
そして、その「あなたの夢」に対しての共感と期待が、資金を調達し、人材を集め、販路も切り開く…という仕事の仕組みが、すでに始まっているのです。
あなたの「夢」を「宣言」することが、資本であり、理念であり、広告である。
それが今始まりつつある(そして時代の変換期の何度も訪れた)イノベーションです。
過去から未来へ至る歴史をイメージすること、そしてそれを表現する(広義の)ことばを見つけること。今までの意味での資本を持たない僕たちは、まずそこから始めるしかない。
そして、そこから始まる可能性は、かつてなく高まってきているのです。
…あらら、今日も長文になってしまった。最後まで読んでくれた人、ありがとう。

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