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オトナには、子どもに楽しく学ばせる義務がある。ドラゴンボールの話の続き。

300強あるこのブログの記事で一番多く読まれているドラゴンボールを題材にしたエントリー。公開した当時に大きくバズって、今でも定期的に読まれています。

・ドラゴンボールの本質は「学びの継承」にあった!〜亀仙人の卓越した教育法〜

最改めて自分でも読み返してみたらやっぱり面白かった(←手前みそ)。

学ぶことは権利。学ばせることは義務。

何が面白いかというと、このエントリーのなかでヒラクが主張しているのが「学びをドライブさせる起源とは『楽しさ』である」というところね。

それは言い換えると、「学ぶもの=子ども」の視点からの主張なのですよ。

日本国憲法の第26条にはこんなことが書いてある。

  1. すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
  2. すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

これを平たくいうと、子どもは学ぶ権利があり、親には子どもを学ばせる義務がある、ということになる。これを前提とすると、子どもがもし学びを放棄したとしても罰せられず、反対に親が子どもを学校に行かせなければルール違反となる。

もしこういうルールを設定しないとどうなるかというと、「うちお金ないし、子どもなんてどうでもいいから学校なんて行かせずにどっかの工場でこき使うか売り飛ばしちゃうもんね」という親が出てくる(近代のヨーロッパでは本当にそういうことがいっぱいあった)。

親にとっては「子どもを学校に出す」というのは、短期的にいうとコストでしかない。では翻って子どもはどうか。なぜ学ぶことは「権利」であり、「義務」ではないのか。

亀仙人は、実は「義務を遂行するひと」なのであるよ。

ということでここからが本題。

学ぶことを「権利」に設定しているのは、子どもにとって学びは楽しい「遊び」だからだ。「義務」であるという定義は「苦役」になってしまう。

そうではなくて、子どもにとって学ぶことはワクワクする「遊び」なのだ。

それを端的に表現しているのが「亀仙人のところに弟子入りする悟空とクリリン」のエピソードなのよ。知ってましたか?(←僕はこのエントリーを書くまで知らなかった)

悟空とクリリンにとって、修行とは「遊び」だ。朝から晩までひーこら言いながら、でもギブアップする素振りは一切見せず、夢中で学ぶ。毎日毎日自分が何かを習得し、「ここではないどこか」「昨日の自分ではない誰か」になっていくことが楽しくて仕方ない。

いっぽう亀仙人にとって、悟空とクリリンを鍛えることは「義務」なのである。
鶴仙人のように、弟子を「自分の道具として利用する」ということがルール違反であることをわきまえている。だから、彼らが亀仙人本人の思惑ではなく、彼らなりのモチベーションをもって成長できるようなプログラムを組む。

実は、亀仙人はたいへんにコモンセンスを備えた「ナイスなオトナ」なのですよ。
その義務感からいっとき解放されたいがために、スケベ行為に走る。あれは企業のなかでも家庭のなかでも人を育てなければいけない中間管理職のお父さんが飲み会でネクタイを頭に巻いてはっちゃけるのと同じことなのだ(たぶん)。

話を戻すと。
子どもにとっては「学び」は当座の人生の中心に据えるに値する「楽しいこと」だ。だから大人は、「遊び」を「苦役」にしない義務とマナーがあるのです。

 

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