どうもこんばんは、ヒラクです。疲れが溜まっていたので、今日は早めに仕事を終えました。
…で、すぐ家に帰ればいいものを、三鷹の駅前の啓文堂書店に寄り道。これが間違えでした。はじめて立ち寄ったんですが、予想外の充実したラインナップに、気づけば一時間半の滞在。はやく帰った意味ないじゃん!てな声が聞こえてきそうですが、本屋さんでのこういう時間の過ごし方って、結構大事だと思うんですよね。
雑誌?文芸?専門書?マンガとあちこちの本棚を行ったり来たりしながら、装丁から放たれるビームをシャワーのように浴びる。気になったら、手に取って目次をパラパラめくったりする。
これって、「森林浴」とか、「海辺の散歩」みたいな行為で、「情報のマイナスイオンを浴びる」みたいなセラピー効果があるんですよ(ホントかよ)。
編集者と物書きと造本家が徹夜を惜しまず精魂込めて制作し、それを取次の人が吟味し、書店員が太鼓判を押して書棚に乗せる。そういう過程を経た「情報の彫刻 by ヒラク父」からは、様々な周波数のバイブレーションが発せられる。この周波数をチューニングしつつ、「今この瞬間、自分が無意識に求めていた情報にアクセスする」というのが本屋さんでの正しい時間の使い方だなと思うんですね(探していた本を見つける、というより、この本を探していたことに本屋さんで気づく、というプロセスのことです)。
学生時代、行きつけだった大学の近くの古本屋さんがありました。
そこの店主はフリースタイルなおじさんで、よく営業時間中にも関わらず、客であるヒラクに「ちょっと外出てくるから店番しといて」と言い残して2?3時間帰ってこないことがよくありました(今考えればひどい話ですよね)。で、カウンターに座ってぼんやり店の本を読んでたりしてたのですが、今でもよく覚えているのが、その古本屋の常連だった音楽評論家の小沼純一さん(当時ヒラクの大学で講師をしていた)。小沼さんは、店に入ってくるや否や、本棚のあるピンポイントに直進し、サッと本を引き抜いて、レジに持ってくる。その間だいたい1?3分。そしてそのチョイスがことごとく「絶版になっている隠れた名著」なのですよ。店番から戻って来た店長が「その本持っていったか!オレがいたらもっと高値を交渉したのに」と悔しがっていたのをよく覚えています。
店主がいないあいだを見計らって、ピンポイントで掘り出し物を発見して去っていく。
この芸当は、「計画的」にはできないとヒラクは思うんですね(だって、そのタイミングを待ってるほどヒマじゃなかろうし)。恐らくこの種の本マニアは、「本のアウラを直感的に嗅ぎ取る」特殊能力を恒常的に訓練していて、本棚を一瞥するだけで「オレを呼んでいる本」を見当てることができる。
「なるほど、ブキニストの仁義なき社会は、こういうことなのか…」ということをその時学んだのでした。
さて、話はそれましたが。
amazonやkindleも便利なのですが、やっぱり品揃え豊富な本屋さんに行って、多種多様な「本の面構え」を眺めて歩くことって、やっぱり色々インスパイアされることが多い行為だと思うんですよね。玉石混淆のなかから、己の無意識的に欲していたジャストな一冊を探りあてるということは、人との出会い方のスキルにも通じる「直感力」の訓練だと思うのです。
で、僕が本日買ったのはカート・ヴォネガットJr.の「母なる夜(池澤夏樹さん訳)」と鶴見俊輔さんの「神話的時間」。新しい出会いとは無縁の意外にコンサバなチョイスだったのでした(一瞬伊藤計劃さんの小説を買おうとしたんだけど踏み切れなかった。)。日和ってるぜ、自分。

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