ある日、
ちらかった部屋に いやけがさして
ガラクタを片付け 紙の山を整理して
のべつまくなし 手垢のついたものを
まとめて部屋の外に運びだした
何もない ホテルの客室のような部屋
真ん中にぽつんとあるテーブルに座り
からっぽの空間を見回して
なぜか 戸惑いを感じた
その部屋には 僕の生きてきた
時間が流れていなかった
きのうの僕がいた跡は なく
明日の僕のいるべき席も なかった
きっと明日になれば 僕は
今日のじぶんが残した
生活のほこりを きれいに掃いて
過去も未来もない
生まれたばかりのような
くったくのない顔で ここに座っているだろう
どうしてそれが不満なのか
☆
部屋をきれいにして
僕は何をしたかったのだろう
こころの中でもつれあった
人間関係や やるべきこと
それも空っぽにしようとしたのだろうか
電話帳を捨て スケジュール帳を捨て
そうしたらこころも楽になって
この部屋でゆったり くつろげるだろうか
☆
一年また一年と齢を重ねるたびに
生きていくための荷物は増えていく
気持ちが弱くなったとき
その荷物を降ろしたい と願う
けれども降ろそうとする その瞬間
今までの自分をなくすことを感じて
踏み切る強さを持てない 僕がいた
けれども
その強さは ほんとうに必要なのだろうか
シンプルな暮しは目標ではなく
幸せになるための方法 なのだとしたら
背負った荷物は ガラクタ ではない
弱い自分がここまでやってこれたのは
いま手放そうとしている
もつれあった人間関係や
今まで経験してきたこと のおかげなのだから
☆
生きることは ややこしい
だから
それに傷つくこともある
もしリセットしたとしても
また糸はもつれていくだろう
そうしたら そのたび
糸を丁寧にほぐせばいい
糸を断ち切れない
強い自分でなくてもいい
僕が願っていたのは
そんな自分が前に踏みだせる
すなおな きもち
シンプルな人生ではなく
シンプルなきもち だった
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あきゅらいず美養品の会報誌に載った文章。
とても気に入っているので、ブログに転載しました。
どこかの誰かが感じていることを、掬いとっている文章だといいな。
シンプルなきもち
2010年11月12日