「息継ぎ長く」の大事さ。
昨日は仲良しの編集者・ブロガーの鳥井弘文くんの紹介で、高知のブロガー&イラストレーターのヒビノケイコさんと三人でご飯を食べにいきました(場所はサラリーマン時代によく遊んだ中目黒)。
ヒビノさんは初対面なのに妙に懐かしい感じのする人で、出自を聞いてみれば大阪生まれで京都の美大コミュニティの中で育ったらしく、親友のアサダワタル君を思い起こさせるような「おっとりしつつ、一筋縄じゃいかない感じのひと」だったぜ。
僕もちょっと前からヒビノさんのブログを読んでいて、「息継ぎの長い文章を書く人だなあ」という印象を持っていました。
「息継ぎ長いとか言われても意味わかんないし。解説せよ」
そうね。
ある問いからスタートし、何か答えを出すまでの紆余曲折が味わい深い、という感じのニュアンスなのだけどね。息継ぎ短い人は、とにかく結論を出すことを重視する。それはそれでいいんだけど、そういう人は「すぐに答えが出そうな問い」にしかコミットできない。「別に自分が引き受けなくてもいいこと」にしか向き合えないというディスアドバンテージがあるわけだ(そのかわり「アイツは答えを出せるヤツだ」という評判を得ることができる)。
自分にしかわからない「道なかばの紆余曲折」を無駄と思うのではなく、むしろ思考プロセスの本体だと思えるマインドセットは本当に稀有なもの。迷ったり、沈黙したり、無様な振る舞いをする自分とどう向き合うのか。これは「とらえどころのない物事の本質を掴もうとする」という態度とよく似ているなと思うのよね。
ええとね、もっと言うと「知性的である」ということは「スタートとゴールのあいだのぱっとしない状態に意味を見いだせる」ということです。さらにそれを言い換えると「普通の人は投げ出してしまうような複雑かつ宿命的なテーマに腹を据えて向き合う度量がある」ということ。
ヒビノさんはもちろん、鳥井くんもこういう「息継ぎ長い特性」を持っている人なので、昨夜の話はたいへん深淵かつ愉快なものとなりました。
で。12月にどうやら三人で楽しいトークイベントをやることになりそうです。トピックスは、仏教&微生物。WEB業界にはさっぱりリーチしなさそうですがヒビノさんと鳥井くんの「息継ぎ長い思考」を目の当たりにしたい人はぜひ遊びにきてね。詳細は近日。