2019年は、万能感と焦燥感のあいだで深呼吸する年だ。

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毎年新年になると「今年はどんな年になるのだろうか?」と考えるのが習慣なのだが、今年はどうもまったくイメージが見えない。

・2018年は、前に進む自分を信じる年だ。
・2017年は、自分のイカダで未知の海に漕ぎ出す年だ。

なぜなのか?ということを掘り下げてみるに

①最近周りに体系的に未来の社会を考えている才人が多いので適当なこと言えない
②年々謎を深めていく自分の人生のことを考えるだけで精一杯
③社会の変化が激しすぎてもはや予測できない

この3つの合わせ技によって「いやもうよくわからん」ということになっているんだよ。
なんだけどギブアップしないでこの「よくわからん」感に付き合ってみたいと思う。

崩壊していく秩序のなかでどのようにあるべきか?

ここ数年「今まで当たり前だった常識や社会の基盤が崩壊していく」ということを言っているけれど、今年はこれまでの「気づく人はもう気づいている」段階を超えて、この社会に生きる大半の人が日々の生活のなかで「あれ、おかしいな。これまずくない?」というレベルで秩序の崩壊に立ち会うことになる。

つまりこの年はこの社会の構成員のほぼ全員が「危機感」を持つことになる。
カッコに括ってもっかい強調したい。社会に「危機感」が蔓延する。気づく人だけ、ではなく空気に微量に混入したガスのように「危機感」が薄く広がっていく。

空気の変化をなんとなく感じている人は、どこからともなく聞こえてくる、

「お前たち、危機感を持て!そのままでいいのか?今すぐ行動を起こせ!」

という煽りに不安を抱くことになる。今の場所に安住していてはいけない。動かなければいけない。でもどこを目指して?

これがさらなる危機感を募らせる。そして危機感の混入濃度がさらに増加する「危機感スパイラル」が社会を覆っていく…

という重苦しい霧に邪魔されて「いやもうよくわからん」という感じに自分がなってしまったことを今このブログを書いている途中に気づいたぜ。

万能感と焦燥感のあいだに立つ

危機感煽られまくりの社会において発生するのが「少数の万能者と多数の焦燥者」だ。それは言い換えると「危機を煽るヤツ」と「煽られてそいつについていくヤツ」の依存関係が社会の流れを作り出していく。万能感に駆動される少数の者が「私は危機を回避する方法を知っている」と宣言し、漠然とした危機への焦燥感を覚える多数の者への道を指し示す…という場面にあちこちで出くわすかもしれない。

「このままではいけない」
「今いる場を離れて動かなければいけない」

それは正論ではある。誰しも人生に変化が必要な時はある。

なんだけど。えーと、なんて言えばいいんだろうか。
「誰かから煽られた変化」と「自分のなかから必然的に出てきた変化」の欲求を峻別することをなんとなく気にかけるといいと僕は思うんだよね。

自分のなかに変化の必然性を感じなかったら、別に無理して動かなくていい。環境の大きな変化があって、みんながその場所から動いていった時に、なぜかそこを動かなかったごく少数の生き物が結果的に生き延びることもある。

ちょっとヘンな理屈なのだけれど、変化する時期にこそ「いますぐに何かをしなければいけないという焦燥感」あるいは「自分が世の中を何とかしなければいけない万能感」にとらわれない努力が必要かもしれない、と僕は年始に長い散歩をしながら考えた。

極端さに引きずられない感覚、感情が揺り動かされた時にまず深呼吸するような感覚を大事にする。万能感と焦燥感のあいだに立つ。強い極端と弱い極端のあいだでバランスを取る。

極端に陥らない人の母数が増えると急激な変化がもたらすダメージを少なくできるのではないだろうか?

今年はどんな事が僕を待ち受けているのか、さっぱりわからない。
そのわからなさを無理やり解消しようとしないで、まず深呼吸してみる。

わからないことに焦らない。
自分の中から生まれる変化の声に耳を傾けてみる。

そういう1年にしようと僕は思ったよ。あなたはどうだろう?

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