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山に住むと「内省的」になるのはなぜか?

山梨の山の上に引っ越していつの間にか一年が経った。

引っ越して半年間ぐらいはなんだかんだで東京の用事が多かったり、トークイベントに出演することも多かったので「山に篭っている感」は薄かった。
それが今や東京に行くのも最小限、人前にもあんまり出なくなったのでいよいよ「山に住んでいるひと」になってきた。

東京に住んでいた時と何が変わったのか。
色々変わったけど、大きいのは「夜の過ごしかた」だね。

東京時代は仕事終わったら吉祥寺のバーに行って遊んだり、友だちに会いにいったりしていたけれど、車がないとどこにも行けない(一番近いコンビニは車で10分)場所に住んでいるとそんなことはできない(あとみんな早寝早起きだし)。

なので、たいがい一人で一杯飲みつつ、本を読んだりゾンビ映画見たり考えごとをすることになる。すると当然ながら「内省的」になるのであるよ(←ゾンビ映画はどうなんだ)。

ところで「内省」てのは何なのかというと、「自分に問いかける」ということだ。
理想の自分を追い求める…という「自分探し」ではなく、「果てしなく自分の思考に突っ込みを入れ続ける」ということで、よく僕のブログで

「で、結局ヒラク君は何が言いたいんだね?」

と突っ込んでくるムッシュ・テストのアラ探しに延々付き合うこと、これが内省だ。
要は友だちと飲めないので、自分のなかの仮想人格と飲むということになる。

この仮想人格なのだが、「いいヤツ」に設定すると話していて全く面白くない。なるべく「穿った見方をする」「自分の意見に片っ端から反対する」「ネガティブチェックが鬼厳しい」という友だちとしては最悪の部類に入る人格を設定したほうが楽しめる。

日常的にこの「内省」をエンジョイしていて気づいたのが、人間関係のとらえかたも東京時代と違ってきた、ということだ。ざっくり言えば、人との出会いを焦らなくなってきたんだね。よくバーに行ったり飲み会に行ったりしていたのは、お酒を楽しみたいというよりか、人との出会いを求めていたのであるね。
twitterやインスタグラムのフォロワーを増やすのに躍起になるように、リアルの場で自分のネットワークを広げていくことに「焦っていた」のだな。

しかし山に住むと強制的に社交活動から隔絶される。
夜、キッチンでムッシュ・テストと一緒に監視カメラで不審者の行動を見るように「かつて社交活動を頑張っていた自分」を眺めながら

「見てごらん、あの引きつった笑顔」
「社会人10年以上やってるクセに名刺の渡し方がぎこちないな」
「てかあのテンションの高さ嘘っぽくね?」
「そもそも存在自体がクリエイティブじゃないw」

と、ニコニコ動画ばりに突っ込みを入れまくると切なすぎる気分になってくる。バルス!

人との出会いというのは目的にするものではなくて、自分が何かに向かって頑張って生きていく途上で必然的にもたらされるものだ。

あるいは。
人によっては「人との出会い」を至上の命題とする人生があるのかもしれない。その時に東京のような都会は最適な場なのだと思われるが、別に万人に必要というわけではないのだ。

今や気軽に外に飲みに行けない身分になった今、街に出て飲み会に参加することは最高のエンターテイメントなのであるよ。詳しくはアマノ食堂のこの記事を読むべし。

・飲み会を最高に楽しむためには、「銭湯」で心と身体を整える! | 発酵トラベルノート

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