▷殿堂入り記事

さよなら、工作室。

今日、武蔵境にある++旧オフィスの引渡しがありました。

借りたのは今からちょうど4年前の2009年のこと。

その頃僕はまだあきゅらいずで会社勤めをしていて、単純に住む場所として借りたのが始まり。
建築を見た瞬間に、「むむっ、ここには何かあるに違いない!」と直感がはたらき、その場で借りることを即決しました。
地営業通信の最新号にもある通り、その建物を設計し、住んでいたのが建築家の黒岩さん。

今思えば、この出会いが大きなターニングポイントでした。

翌年、2010年。
「もっとデザインを極めたい!」と、あきゅらいずから飛び出して独立(ミナミさん、ワガママ言ってすいませんでした)。元インハウスのデザイナーにすぐに仕事が来るはずもなく、ブラブラしていた当時のヒラクに、「面白いことやろうよ」と声をかけてくれたのが黒岩さんでした。
そこから都市計画的な仕事や、自然エネルギー、環境に関わる仕事が始まっていき、だんだんと「地と人をつなぐ」というコンセプトの元型ができていきました。

その頃は、ベッドと同じ部屋にPCデスクが置いてある状態で、寝ても覚めても仕事にのめり込みながら、仕事の仕方を覚えていきました。
やがて、フリーペーパーのデザインの仕事で、++創業スタッフ小田原さん(同じことに独立してた)と出会い、オフィスシェアすることになります。

2011年。
職住一致が度を越して体調を壊し、元々住んでいたシェアハウスに出戻って、小田原さんと一緒にオフィススペースとして部屋を改造。ベッドと洗濯機が運ばれて行きました。

それから。
3月に大震災が起きた後、独立してから関わっていた「環境や地域に関わる仕事」がにわかに関心を持たれるようになり、仕事が増え、色んな人が旧工作室を訪れるようになっていきます。
その中の一人に、++共同代表として会社を一緒に立ち上げることになる安田さんがいました(当時は市民発電所を作ろうと企画書を持ってあちこち飛び回っていました。うーん、懐かしい)。

そして秋。
黒岩さんが立ち上げた環境住宅の普及事業のなかで、安田さん・小田原さんと一緒に「++セッション」という連続ワークショップ企画を始めます。
この時に、編集の達人安田さんから「地と人をつなぐ仕事」、「地営業」という言霊が授けられ、ワークショップを通してふゆみずたんぼの岩渕
先生やきらめ樹間伐の大西さん、budoriの有村さん達と出会い、++の基礎となるネットワークが出来ていきます。

2012年。
++セッションのプログラムを終えた初夏。「法人化するぞ!」という決意が固まり、起業のイロハも何も知らないまま創業。株主を募れない「合同会社」という形態のクセに、知り合いに「5年後売上5億円!」という無茶苦茶な事業計画書を送りつけました。
その頃「木を扱う仕事をしたい」と思っていた安田さんと森の番長、沖倉さんが出会い「SMALL WOOD TOKYO」の企画がスタートします。

デザイン事務所という枠を超えて「自分で企画したものを、リスクを追って自分で売る」という仕事です。まずは自分で体験してみよう!と次々と無垢の木のテーブルやイスが運び込まれ、旧工作室があっという間に「木々(もくもく)」していき、デザイン事務所っぽいモダンデザインの家具が次々と運び出されていきました。

法人になってから、仕事の規模が急速に大きくなっていき、事務所に出入りする人の数も比例してどんどんと増えて行きました。

2013年。
SMALL WOOD TOKYOの事業が急速に成長していきます。
同時にデザインの依頼件数も増えていき、プロジェクトマネージメントの仕組みを整備していく必要が出てきました。
気づいたら、もう「個人事業主連合体」では立ち行かなくなっていたのです。

これからは、チームプレイで行こう。

モノと人を動かしていくには、各々の強みを活かしつつ、力を束ねる仕組みを作っていこう。
そうするためには、みんなが集まれて、モノを展示できる場所が必要でした。

5月の終わり、ジブリの森のすぐ近くに、昭和のレトロ物件が見つかりました。

元スナックの、一見うらびれた建物です。第一印象で「これはナシでしょ」と思いましたが、広さもロケーションも条件にピッタリだし、家賃も破格。
それに、これだけくたびれた物件を、SMALL WOODの木材と、今まで培ってきたデザインの経験を使って素敵に蘇らせたら、効果抜群のPRになるかも…!

と思った矢先に現れたのが、デザイナー件DIY女子の亮子さん。

亮子さんの力を活かし、工務店にも大工さんにも頼らず、自分たちでレトロ物件をDIYして再生させるプロジェクトがスタートし、床を解体し、壁を貼り替え、漆喰を塗り、無垢の木の床板を敷き…と実地で学びながら、空間を素敵に蘇らせるテクニックを身につけて行きました。

そして。
無我夢中で辿り着いた引越し当日。荷物を全て運び出し、がらんどうになった旧工作室を見た瞬間、4年間に起きた色んなことがフラッシュバックしたのです。

 

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「伝えること、表現することを仕事にする」、「世の中を良く変えていく仕事をする」。その気持ちににウソをつかずにとことんやってみようと、悩みながらも会社をやめて「独立」を選んだ一年目。

「ウソをつかないで仕事をする」ことをバカ正直にやって、たくさん失敗しながら自分の仕事の型を作っていった二年目。

「ウソをつかないこと」への気持ちの強さが、人との出会いを引き起こすことを知った三年目。

自分の気持ちで世の中を変えていくのは、自分の力だけではとてもとても足りないことを知った四年目。

で、その過程でここで起こったたくさんの事を振り返ってみるとき、気づいたことがあったんですね。
引越してきた時に漠然と考えていた「こんなふうに生きていきたい」というヒラク個人の願望は、いますでに叶えられている

だけど、僕は全然それには満足していない。今自分は「チーム」という単位の表現欲求や願望を叶えようとするフェーズに入っている。そのなかで、新しいマインドセットと動機を必要としている。

気づいたら、相手にしているものが「欲求不満の自分のあり方」から「社会のあり方」へとシフトしていた。つまり、人生の大きな転換期を迎えていたのです。

人が前に進んでいく時に、環境を選択し直す機会に直面します。
それを前向きに表現すると「卒業する」という言葉になるんだろうなと思うんですね。

僕はこの四年間、この場所でたくさんの人に出会って、たくさんのことに気づいた。
その積み重ねが、自分を次の場所へと誘ってくれた。「自分はこうあるべきだ」という先入観を取り払って、「自分はこうあってもいいはずだ」というしなやかな思考と行動力を示唆してくれた。

モノが空っぽになったその部屋には、4年間の自分の「気持ち」が充満していました。

良い気持ちも悪い気持ちも、嬉しい気持ちも悔しい気持ちも「自分にとって必然だった」と納得する。その上で、その気持ちをそこに残していく。
まるで中学や高校の卒業式のように、不思議な晴れやかさがありました。
名残惜しいような、期待に胸踊るような。

さよなら工作室。
明日から違う場所で生きていくけど、自分の「原点」として忘れないでおくぜ。
今度も素敵な人が入るといいね。

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