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「読モ」理論。三角形の幸せなコミュニケーション。

文化とは、誰かがつくって与えてくれるものではなくて、自分でつくるもの。

モノだけではなく、モノの楽しみかたもまた文化です。価値観のモノサシをつくることができる「読モ」の層がどれだけ分厚いか、というのが文化の質。最近あちこちで話している「読モ理論」についてソトコトの連載をもとに改めてブログでまとめておきます。

不信感から生まれる悪循環

発酵食品をつくるメーカー(作り手)と、それを味わうユーザー(受け手)。この信頼関係がマーケットおよび文化を形作る。なんだけど、しばしば両者は信頼ではなく疑いの線でつながってしまう。

典型的なケースでいえば、作り手は商品を広告して「ウチはこんなに素晴らしいものをつくっています」とアピールする。ところが受け手は「そうやってメーカーは不当にモノを高く売りつけようとする」と不信感を持つ。その反応を見た作り手は「消費者は文化の質を知らない」とガッカリしてしまう。

文化が生まれるためには、作り手と受け手の幸せな関係が必要。いくら醸造家が良い酒を つくったとしても、それを愛で、評価する受け手がいなければ成立しない。
不信から生まれる悪循環を繰り返すうちに「あれ?この業界なんか行き詰まってない?」という状況が生まれることになる。

直線関係から三角関係へ

悪循環を脱出するには、作り手↔受け手の直線関係の上にもう一つ点を置いて幸せな三角関係をつくることが大事。この三角関係の象徴を、僕は「読モ(読者モデル)」と呼んでいる(ファッション誌とかに出てくる「読者と業界のあいだにいるひと」のことね)。

この「読モ」こそが文化が盛り上がる時のキーになるのだな。

日本酒を例にとってみよう。
作り手の酒蔵と日本酒を飲む受け手がいる。そしてこのあいだに、お酒の嗜(たしな)みかたをよく知っていて、作り手の背景も知っていれば飲み手の素朴なギモンにも応えられる読モ的存在を置いてみる。すると滞っていたコミュニケーションが循環し始める。
酒蔵は読モを唸らせるお酒を頑張ってつくり、読モはそのお酒をいちばん美味しく飲む方法を発明し、飲み手に「このお酒は、こんな人がつくっていて、こんな飲み方したら美味しいよ!」と楽しく伝える。すると飲み手は「日本酒ってこんなに美味しいんだ!ワタシももっと嗜み上手になりたい!」と開眼する。

読モを通して作り手は自分のお酒の新たな可能性を知り、飲み手は作り手へのリスペクトを深める。するとほら!みんなが幸せなコミュニケーションの循環が始まるではないか。

起こせ読モレボリューション!

発酵業界における読モは、料理研究家やソムリエだけではなくて。各地域の小売店と飲食店が重要な役割を担っています。

日本酒でいえば、酒屋さんと居酒屋さん。
ここが各地の蔵を訪ねて理解を深め、自分の店オリジナルのラインナップと飲みかたを提案しお客さんと一緒に遊びまくると、停滞していた業界が盛り上がりはじめる。

2017年現在、発酵業界における作り手の質はかつてないほど高まっている。一生懸命ものづくりに取り組む作り手に「もっと伝え方を考えないと」なんて言わせてはいけない!

醸造家レボリューションの後は、読モ」レボリューション。ナイスなコミュニケーションをつくるポイントは「みんな幸せになる遊びかた」の発明なのだぜ。
アート作品をつくる気概でものづくりに挑む醸造家の美意識を理解し、自分なりのやり方でその酒を愛でること。受け手のその「愛でかた」もまたアート作品だ。

つまり僕が何を言いたいかというとだな。
作り手だけでなく、受け手もアーティストなんだってこと。ほんとはね。

 

【追記1】ちなみに読モ理論は、岡山県西粟倉村で酒屋「日本酒うらら」を営む道前理緒さんと深夜まで盃を酌み交わしながら語った席で生まれました。道前さんありがとう〜!

【追記2】読モ理論についてさらに詳しく読みたい人は『発酵文化人類学』を読んでね。

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