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「リプライが来ない批判」の機能について。

「衆議院が解散するんだって。また選挙か~」
と民ちゃんがため息をついている。

選挙がめんどくさいとか、選挙資金はお金の無駄じゃないかとか、そういう事で憂鬱になっているわけではなく、facebookのタイムラインに、ある種の政治的な書き込みが流れてくるのがイヤなのだそう。

「政治家のことをタメ口で批判したり、自分と関係なさそうなことをさも自分事のように主張するのを見ると疲れる」とのこと。

なるほど。
なぜそういう怨嗟がタイムライン上に満ち溢れるのか、ご存知か。

不自然なまでにエモーショナルでホットな問題提起や批判が生まれやすい3つのカテゴリーというものがある。
スポーツと、ゴシップと、政治だ。

僕は欧州のサッカーが好きなので、よくサッカー情報のポータルサイトを読んでいる。
で、そこの掲示板では日々特定のチームファン同士の不毛なディスり合戦が行われている(バルセロナ対レアル・マドリーとか、マンチェスター・ユナイテッドとマンチェスター・シティとか)。
「メッシが世界一だ」「いやクリロナだ」って、アンタの親戚じゃないんだから別にどうでもいいじゃないか、という話だ。
ゴシップでも、「1年で離婚?けしからん」「3億で豪邸購入?分をわきまえろ」と、なぜか親戚のおじちゃんおばちゃんモードになってしまう。

で、政治だ。
「安倍よ、はやく気づけ!」「いったいどうやって責任を取るつもりだ?」と、タイムライン上に「首相の上司」とか「官僚のコーチ」が大量発生する。

なぜそうなるか。
理由は単純だ。「いくら批判してもリプライが来ない」からだ。

えーと。
例えば、「ヒラクくん、発酵デザイナーなんてアヤシい肩書をなのってないで大企業に就職しなさい」と他人に言われたらムカっとする。だから逆上したヒラクは「アンタ何様ですか?」とリプライするか、直接言わないまでも「ヤマダさんさあ、自分のこと棚に上げて何エラそうなこと言ってんだろうね」と、その人の評価を友達に伝えたりする。そうなると、いい加減なディスりは自分の立場を危うくすることになる。これが「リアル世界」の原理。

しかし。
大手電気メーカーの関連会社で働く中堅社員のヤマダさんが「クリロナは肉体美を魅せつけたいだけのナルシストだろ」とtwitter上でディスったとしても、クリロナから「テメエのたるんだ下っ腹見てから言えよ」とリプライは来ない(ちなみにヤマダさんの肩書及び人格設定に「大手メーカー勤務の人なんて一握りですよ」とか「下っ腹が出ている人間にもの言う資格は無いんですか」というリプは返さないでね)。

「どんなこと言っても反論が来ない」のであれば、人はいくらでも上から目線にも傲慢にもなれる。しかしその言動は、「電車のなかで延々と独り言を垂れ流しているひと」と本質的には一緒なのだ。話の内容以前に、そういう人の周りには近寄りがたい磁場が形成されている。

民ちゃんは人が発するバイブレーションに大変に敏感な人であるので、SNSのタイムラインに流れてくる「親戚シンクロメッセージ」と、電車のなかでの独り言垂れ流しが同一の現象であることを感じているのだね。

…とここでエントリーを終わりにしてもいいんだけど、もうちょっと続けます。

「リプライの返ってこない批判」を繰り返すことは、それをする人の「リアル世界の欠如」の埋め合わせとして機能している。例えば「自分の才能と明晰さは正当に評価されていない」あるいは「年齢を重ねるごとに社会的な地位は向上していくはずなのに、万年係長とはどういうことがヤマダよ」という「穴」があったとする。

「リアル世界」で「部長はワタクシのことを正当に評価していないのではないですか、このタコ助!」「二個下のヨシダだけどよお、あいつが昇進したのとか親戚のコネだからよお」なんて適当なことを言うとオートマチックに島流しに合うが、クリロナや首相にだったら「このタコ助!」と心置きなく言える。その瞬間に、「誰もが知っている実力者の上にいる自分」をバーチャルに作り出すことができる。このことは一時的にリアル世界の自分の「穴埋め」になる。

「もうよせ、そんな不毛な分析は。一体誰が得をするっていうんだ?」

いるのだよ。得をするひとが。
不毛なディスりが充満すればするほど、ディスられている当の本人は延命する。それはとりもなおさずディスっている本人の保身にもなるのであるよ。

日本ではヤマダさんが首相のことをタメ口でディスってもとやかく言われない。それは日本が(基本的には)民主主義の社会だからだ。
では逆に、独裁制の国のことを考えてみる。ヤマダさんがもし将軍なり書記長なりをタメ口で批判したらどうだろうか。速攻で牢獄かあの世行きになる。

しかしこの仕組みは、支配する側とされる側のあいだでwin-winの関係性は生まない。というかその逆で、過度に抑圧しすぎると、人民が武器をもって蜂起したり、側近に寝首をかかれる恐れがある(と思う。独裁制の国に住んだことないからわからないけど)。

ヤマダさんやスズキさんが居酒屋のカウンターやfacebook上で「本当にこの国の政治家はなんでこんなに馬鹿なんだろうなぁ」とディスるのは怖くない。
ヨシダさんやヤマモトさんやナカザワさんが鍬や鋤を持って霞ヶ関に攻め上ってくるのは好ましくない事態だ。
お互い血を見たくないならば、為政者のへどもどした態度と、市井の床屋談義は利害関係が一致している。

…えーと、何が言いたいかというとだな。
実は民ちゃんの憂慮する状況には、実は必然性があるということだ。国会答弁や記者会見の煮え切らなさと、SNSやブログ上で繰り広げられる不毛な批判は、民主主義の制度が時間をかけて編み出した「次善案」なのではないかとヒラクは思う。

「お願えしますだ、わしらこんな消費税が高くては生きていけませんだ」と血の涙を流したヨシダさんに鍬を持って襲い掛かられるよりは、「身分だけ偉くても何もわかってねえな。オレが教えてやんよ」とどこか知らない場所でヤマダさんに一方的にナメられているほうが、為政者の保身のためにはベターだ。

「こうやってオレたちはお上のいいように操られているのか?」

いや、そんなことはない。お上にはそんな自覚はない。操っているのは社会制度そのものだ。バイオレンスな歴史のエンドレスリピートにうんざりした昔の人が設計した制度に、僕たちの行動は規定されている。みみっちくて不毛な議論が行きつ戻りつしている間は、実はバイオレンスに対する抑止力が働いている。

民ちゃんにはツラいかもしれないが、これはこれで意味があることなのであるよ。
耐えられなくなったら、SNSのタイムラインを見ないようにするという選択肢もあるし。

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