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「ハイクオリティ」の向こうがわ。

ヒラクです。先週木金と出張していた大阪でのことをメモ。

「味噌つながり」で仲良しの味噌ラーメン専門店「みつか坊主」と某大手メーカーの商品開発の仕事のあいまをぬって、「大阪デザインクルーズ」してきました。

Facebookで「大阪で時間が半日空くんだけど、誰か遊んでくれませんか?」と書き込んだらオファーをくれたのがマイファームの梅林くんと「段ボールのひと」小仙くん(うーん、技術の進歩ってすごい)。

朝イチの仕事が終わったあとにコモンカフェで待ち合わせてランチを食べながらあっという間に仲良くなる。コモンカフェは、日替わりで店長が変わる、「シェア型カフェ」の関西の草分け的存在(らしい)。この日も、マクロビ的なメニューを出す柔和な日替わり店長さんがキッチンに立っておりました。そんで、マクロビご飯を食べつつ「おやおや?大阪ってこんなかんじ?」という感覚が芽生えて来たんですよね。

で、コモンカフェを出て向かったのが、「スタンダードブックストア」。ここは一言でいえば「ハイブロウなヴィレッジバンガード」。デザインや暮らし、ソーシャルビジネス関係の書籍のセレクト、アウトドア的な服飾品のセレクト、クラフトっぽい器や文房具が並び、本を持ち込んで読めるカフェまでついている。要は「さいきんイケてるもののインデックスを並べて、店を一周すると今の空気がわかる」お店です。店内はアンテナ張ってそうなボーイズ&ガールズでいっぱい。

で、そこでまたもや「あれあれ?大阪ってこんな感じ?」と思う訳です・

そして次は「D&DEPARTMENT OSAKA」。ここはもちろん基本九品仏と共通したコンセプトと店構え。

さらにそこから徒歩で20分、中之島の「Graf」。もちろん超素敵なインテリアのショールームで、小さくてアットホームなカフェまで付いているわけで、色々回っているうちに「えっ、、、ここ東京??」と錯覚してきてしまったんですね(grafは関西発ですけど。やっぱ東京的なイメージだと思う)。

梅田は急速に丸の内化し、日本橋も東京でよく見るセレクトショップがどんどんオープンする。歩いている若者のファッションも、あんまり東京と変わらなくなっている。

この現象は、「大阪が東京化している」のか、それとも単に「大阪と東京が均質化している」のか(たぶんどっちもなんでしょうけど)。

もちろん洗練された通りから一本はいると、ものすごくデコったスーパー(玉出)とか、卸問屋や串カツの立ち飲み屋さんが出てくるわけですけど、それは「クラシックな大阪」であって、「モダンな大阪」は「東京でスタンダード化されたクオリティ」の土俵に乗っている印象がありました。
で、ここで出てくる話は2つあって。

真っ先に出てくる「大阪らしさはどこいったの?」みたいな話は、正直僕そんなに大阪を歩いたわけではないのでなんともいえないし、スキニーパンツのデザインボーイ小仙くんがそういう「デザイン・オリエンテッド」な場所を選んで連れていってくれたのだろうから、とりあえず保留。

僕が第一に感じたのが、「東京の外で東京的なクオリティが並んでいるのを見て感じる違和感」です。

それは、「その土地はその土地らしくあるべきだ」みたいな事じゃなくて、「東京のスタンダードになっているクオリティのものさしって、もう古いかも」という印象なんですよ。

東京は当然、東京的なもので構成されているものだから、TOMORROW LANDも青山ブックセンターもIDEEも全部「当然のように存在している」。だから、「それはそういうもんだ」と思うわけです・

一方、東京でない場所で「東京的なもの」が並ぶと、微妙に「東京的であること」がデフォルメされて街にはめ込まれることになる。それは良い点でいえば「付加価値」として、悪い点でいえば「違和感」として、「その場所に置かれていること」の過剰さが見えてくる。

そこで僕は逆説的に「東京的なもののクオリティー」というものを客観的に見るようになる(パリで見るラーメン屋さんみたいな感じ。「ラーメン屋っぽいシズル」が過剰に盛り込まれているから、パリの路上で「そもそもラーメン屋っぽいとは何か」を考察することになる)。

で、発見したのが「綺麗にデザインされて洗練されたものに、もはやクオリティーを感じない」という自分のなかの感覚でした(だから話は大阪のことじゃないの、僕個人の価値観のことです)。

それはなぜか。

SMALL WOODや手前みそのプロジェクトに関わっているうちに、「社会の問題解決は、洗練させてクオリティを上げることではなく、むしろ洗練させることに手間を割くのをやめて、合理的にする」という事がけっこう重要であることに気づいたからなんですよね。

見え方を磨きぬいて「価値をつくる」ことではなく、すでにそのものに内在している「価値を見えるようにする」ことに僕の価値観は向かっているのだということをはっきり自覚しました。

これから「良いとされるもの」は、よりラフで、カジュアルで、より生産現場が近くで見える、そして(これ大事な要素ね)、「デザインが見えない」ものであると僕は確信している。デザインが見えないから、そのかわり僕たちは「ことば」をよく吟味するようになると思う。それは、キャッチコピー的なことばではなく、平たくいえば隠し立てのない「デスクリプション=説明」なのだろうね。

今回大阪で教わったこと。それは「東京スタンダードの価値観は終わりつつある」ということ。でもね、「次の価値観は大阪から生まれる」のではないと思う。やっぱりそれも「東京から生まれる」だろうね。理由は単純。

東京の最大の特徴が「自分のことに飽きるのが速いこと」だから。

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