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鳥になった視点で自分のことを、遠くながく考える。

こんばんは。今日は涼しくて過ごしやすい夜ですね。
家でひとり、のんびりお酒を飲みながら「おお、僕いまヒマだなあ」と実感しました。

やるべき仕事はあるのですが、なんていうのかな。「何かに駆り立てられている感じ」が消えてしまったんですね。「いついつまでに、◯◯の目標を達成すること」とか、「一週間後までに、アレをしないとお尻を蹴っ飛ばされるんじゃなかろうか」みたいな焦燥感がなくなった。

考えてみれば。
20歳の頃に実家を出て姉ちゃんの家に引っ越してから、大学に行きつつあくせくバイトして、ヨーロッパに引っ越してからも絵描きをやりながらあくせくして、日本に帰って大学を出たら、無職のくせにけっこうな借金をしてゲストハウスを初めてあくせくして、会社から独立してから今までに至っては仕事のこと以外は考えないような日々を送ってきた(そう考えると、あきゅらいずでサラリーマンをしていた3年間がもっともゆとりがあった頃だったな)。

「朝起きて、さて今日はなにをしようか」と考える、KREVAの『イッサイガッサイ』のような状態になるのは本当に何年ぶりかしら。

思えばデザイナーとして独立したここ数年間は、「自分のピークをいかに早いタイミングにもってくるか」ということに駆り立てられていたような気がする。事業を軌道に乗せるためにも、「いかに自分のしている事が速く、かつ広く世に認められるのか」ということを強く意識しながら振る舞っていたんだよね、振り返ってみれば。

だけれども。
本当にそんなすぐにピークが来てしまったら、幸せなのであろうか自分。いや、そうではない(←反語)。

自分の人生を映画や小説に見立てるなら、ピークの時点でエンディングロールが流れて物語は終わる。だけれども、自分の人生は自分の人生以外に変換することはできないので、どんなにクライマックスに見える感動的な出来事を迎えたとしても、次の日には「ああ〜昨夜は飲み過ぎたぜ」とか、「うおお、喉がいたくて声が出ねえ」とかいって、寝ぐせボサボサの状態でまずお茶でも飲むか…みたいな感じで目を覚ますわけでしょう。

ええと、何が言いたいのかというと。
そもそも「自分のピーク」というものをすぐ近くに想定したら、人生つまらんということなのかもね。ヒマな時間ができて真っ先に感じたことは「生き急ぐ必要はない、今を楽しめ。」ということでした。

ヒマな時間ってのは、大事だ。鳥になった視点で自分のことを、遠くながく考えることができる。
Take it easyで生きたいもんだYO。

(でもね、自覚しているぜよ、このヒマがすぐ終わることを。僕は元来「せわしない人」だからね)

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