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読みやすさと、わかりやすさ。

こんばんは。
筆を置く、と言いながらアタマがグルグル回っているので、もう少しお話を。

学生時代から長らくブログを続け、最近ようやく書き方らしきものが見えてきた最近。ありがたいことに、読んでくれている人から「読みやすくていいね」と言われるようになりました。

で、ふと気付いたのですが、「読みやすいね」とは言われても、「わかりやすい」とは言われない。

よくよく考えてみると、これは結構重要なことなのではないか、と思いました。このブログを書く時は、日々の仕事や生活のなかで「気付いたけど、うまく消化できない」もどかしいものをなんとか言葉にしようとあがいています。あがく以上、「わかりやすい」ものではそもそもないわけです。

そいつを何とか、まず自分自身に、そして読んでくれる人に伝わるように頑張ります。ずっとそれを繰り返して、だんだん「読みやすく」はなってくるわけですね。語彙の使い方とか、文章の構成とか、ものの例えのしかたとかで。

ただ、根本的に「そもそもわかりやすくないもの」を伝えようとしているわけで、読めたとしてもわかったかどうかはまた別の問題なのかもしれません。
そもそも、僕個人としては「わかりやすいこと」がそんなに良いことがどうかは、カッコ付きなのです。人生には「わかりやすくない」ことが山積しているのですから。

さらに、よーく考えると、「わかる」というメカニズムはそう一筋縄でいかないこともわかってきます。

ヒラクの考える「わかる」とは、その人の人生のデータベースに照らし合わせて「腑に落ちる」ということになります。「あ、これ私の経験でも似たようなことあったな」と思った時に「わかった」という事になります。

まずその人のデータベースに照らし合わせる所まで持っていくために「読みやすさ」が必要なのですが、照合した結果「わかる」かどうかは正直見当つきません。なんとか色んな人の経験や気持ちや感覚に届くようなことばを探すのですが、それでもこの世界には「なぜこんなことが」と思うような不思議な現象がたくさん起こっているのです。

「なぜマグニチュード9.0が?」と電力会社の人は思ったでしょう。
「なぜ表現ができなくなってしまったんだ?」と表現をする人は思ったでしょう。
「なぜこの国がこんなことになってしまったんだ?」と沢山の人が思ったでしょう。

それは、現象、というか現実がデータベースをぶっ壊すほど未体験のものだったからです。
そんな大げさなことでなくても、日々「なぜ?」と思うような、自分のデータベースに乗っていなかったことがたくさんたくさん起こります。

その時、何の因果か思うんですね。「これが、わかるようにことばにしてみよう」。

色んなことを調べたり、コピーの裏紙に図を書いてみたり、友達に電話したりして、ちょっとづつ形を取ってきます。で、それを例えば文章に定着させる時に、できるだけたくさんの人にそのプロセスを感じてもらえるようにことばの使い方をよく磨いておきます。

最終的には、書き終わった瞬間、自分にとっては「わかって」いるわけです。が、読む人にとっては「わかった」かどうかはよくわからない(笑)。

だって、自分のデータベースとその人のデータベースは違っているし、そもそも誰もが「わかって」いるものを書いたとしても、全然面白くないのです。

僕「なぜ?」→僕「わかった!」→僕「わかる?」→あなた「わかるかも!」

このプロセスが成立するのは、超難しい。自分のテクニックに加えて、読む人の人生観や経験にも大きく左右されきてしまうからです。「なぜ?」が強ければ強いほど、「わかる」の伝達は難しくなっていく。

そして矛盾したことに「なぜ?」が強ければ強いほど、人に問いかけたくなってくるし、表現の可能性が高まっていく。

「わかりやすくない」ことにこそ、実はたくさんの意味がつまっている。

というわけで、僕は「わかりやすい」というのを基本にはしないのです。

「わかる」の伝達は、アクロバットみたいなもんなのですね。

…なんでこんなことをつらつら書いたかというと、今回の地震以後のことを考えるにあたって、ヒラクとしてはアクションを起こす準備段階として「なぜ?」を「わかった!」にしておく必要があると思ったからなのです。そのプロセスの中には、きっとたくさんの未来の種が眠っているはずです。
というわけで、今度こそ本当に寝ます。

おやすみなさい。

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