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親友の中里祐次くんが起業したので応援をしつつ、経営者の資質を考えてみた。

十数年来の親友、中里祐次くんが最近起業しました。

誰でも簡単に電子書籍をつくって→出版できるプラットフォーム運営の会社です。
大学時代から本好きでデジタルメディア好きの祐次らしい選択だなと。

というわけで、今日は親友を応援するエントリー(と見せかけつつ、起業家の個性についての考察)。

中里氏はこんなヤツ

話は遡って2000年代前半。
早稲田大学入学から程なくして、当時最新表現だった「VJ(←ビデオジョッキー。映像を使ってライブで空間を演出していく技術)」をやっているという触れ込みでブイブイ言わせていた中里氏と出会いました。
目黒区育ちで、高校は青山。超お坊ちゃん!と思って実家に行ったら三丁目の夕日もびっくりなボロ平屋という、シティボーイとハングリー野生児を足して二で割ったようなヤツでした。

僕は多摩のほうの、ごく普通の公立高校にいたので「大学ってすげえ!」と思いましたね。ええ。
(話はそれるけど、僕のいた早稲田の文学部は、絵に描いたような「田舎の高校でくすぶってたノラ犬」みたいなヤツと、「家柄のよろしいご子息」が混在しているヘンなところでした。)

んで、後にゲストハウスを一緒に立ち上げることになる林業ヒップホッパーの至くんと、最近海外レーベルからデビューした武田くんと、中里氏と僕で「映像と絵と音楽をMIXしたパフォーマンス」をするヘンなグループを結成したんですね(いや〜この「集まってユニット作ろうぜ」的なノリ、青臭いよね)。

それから大学の前半は、夜な夜な都内クラブに出没しては、そのアヤしいパフォーマンスを繰り広げていたわけです。
当時はクラブ文化自体がアンダーグラウンドで、新しいメディアを使って実験したい若者が集まっていたんですね(だから単なる遊び場であるにとどまらず、ある種のアングラ劇場みたいになっていた)。

その中でも中里氏は際立って社交的なヤツで、10歳ぐらい年上の「遊び好きなオトナ」のコミュニティと仲良くして毎晩遊び歩いていました。

中里氏と一緒にメディアを立ちあげたりしてました。

で。
そんな風に「最新の表現がしたい!(←もうこのモチベーション自体が青すぎるZE!)」と集まったサークルに、文学部なのにWEBが作れてプロデューサー気質の村上烈くん(現N2P代表。++ともよく仕事してます)が合流。

クリエイター見習いとプロデューサー見習いが出会うと、当然「メディア立ち上げようぜ!」みたいな展開になっちゃうじゃないですか(←本当バカ)。

それでフリーペーパー作っちゃったんですよね〜(←もう文字を青くしちゃうぞ)。
でも変わっていたのが、媒体が「DVD」だったこと。ここらへんが文学少年としては異端だった。

中野の外れのマンションの一室に朝から晩までスタッフ数人が泊まりこんで、映像作ったりグラフィック作ったり原稿起こししたり。
で、なんだかよくわからないうちにできたDVDマガジン。
なんだかよくわからないノリで新聞社や出版社に「日本初のフリーDVDマガジンです!」なんて大口叩いて宣伝しにいったら、心優しいオトナのみなさんが「近頃の学生はなかなか元気じゃないか」と色んな媒体で取り上げてくれました

そしたらあれよあれよと話題になって、「事業化しないかね?」「投資させてほしいんだが」なんて声が出始めたのが、大学3年の後半にさしかかった頃でした。

はい。鋭い皆様はお気づきのように、大学3年の終わりといえば「就活の時期」ですね。
そのとき僕たちはどうしたのか。

プロデューサーの烈くんは、そのまま起業しました(当時の学生起業家のはしりですね)。
僕はフランスに絵の修行しに行って、しばらくPCに触れない日々を送ることになりました。
中里氏は、当時急成長していたCyber Agentに新卒入社することになりました。

中心制作スタッフが欠けたDVDマガジンはそのまま休止。
みんなそれぞれの形で社会に出て行きました(←僕はそれから2年あまりいわゆる社会人にはなりませんでしたが汗)。

中里氏の資質は、経営者に向いていると思う。


中里氏のプロフィール。この照れ笑いは何ぞ。

それから7年。
烈くんは浮き沈みの激しいIT業界をサヴァイブし続け、僕も会社をやめて独立。至くんも武田くんも本格的な音楽の道に入り、「けっきょく好きなことやりたいんだもん」というカルマが明るみに出た頃、ついに「仲間内で最もうまくやっているサラリーマン」だった中里氏も「オレ、会社つくるわ」とカミングアウト。

「三つ子の魂百まで」じゃないですが、ハタチ前後の多感な時期に、仲間と一緒に「自分の表現をつくる」ことを濃密にやった体験は、その後のキャリアを形作るものなのだな〜、と最近感じるわけなのですよ。

はい。では思い出話はここでお終いにして、中里氏の話。

「ニュートラルであること」
これが10代の頃から一貫して変わらない彼の個性かなと。

大学時代のスモールサークルオブフレンズは、みんな「アングラ」だったんですけど、中里氏は俗なものも好きで、アングラなものも好き。
あんまり人と議論を戦わせたりもしないし、大勢で飲んでても一人でいても基本同じテンション。
そして出入りしているコミュニティも多かったりする。

要は「どんな場所でも自分の居場所を見つけられる」「相手によって距離感を調整できる」タイプ。
それって裏を返せば「突き抜けたものがない」とも言える(と本人も言ってるし)。

でね。
よくある話として「起業するには突き抜けた個性が無いとダメだ」みたいな話ってあるじゃないですか。
でもでも、僕は最近「それって的外れな意見なんじゃないの?」って思います(←はい、ここからが本題です)。

「バランスを取ること」「自分の執着心に客観的になれること」

今までたくさんの経営者と仕事させてもらって、僕自身も経営をするようになってわかった大事なことです。

ある瞬間とんでもないアイデアが出る。だけどそれを今すぐ実行すると会社が潰れる。
ではどうするか?

あるプロジェクトに対して、スタッフの意見が対立する。
ではどうするか?

「バランスを取ること」
「自分が『こうだ』と決めつけたことを、すぐに前言撤回できること」
「異なる意見両方に理解を示すこと」
↑こういうの超大事。

会社を「起業する」だけなら、個人のアイデアや実行力でできる。
だけど、会社を「成り立たせる」ためには、バランスを取り続ける能力が必要になる。

こんなこと言うのもなんですが、起業した時のビジネスモデルなんてアテにならないのよ。
時代の流れや、人との出会いによってビジネスモデルは変わっていく(SONYは街場の電気屋→WALKMAN→ゲーム機メーカーになった)。

でも、どんなビジネスモデルにせよ、「バランスを取ること」は絶対必要。お金とか、人の気持ちとかね。
バランスを取り続けることができれば、いつか時流と人の才能を引き寄せることができる。

会社にとって、経営者の資質は「スター性」では必ずしもない。
対して、「バランスを取り続ける」こと、つまり「責任を持ち続けること」に対する資質は絶対不可欠。

その能力は、ときに「絶対的な個の才能」より稀有なもの。
なので、生来ニュートラルで、適度に普通で適度にギークな中里氏は、よい経営者になるのではないかと思う。
ビジネスの内容も、ジャストなう!なタイミングだと思うし。

みんな、投資するなら今ですよ。

彼の起業した株式会社WOODYのWEBサイト(予告編)はこちら。
Cyber Agent時代の経験を電子書籍にしたものはこちら。

 

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