▷デザインを考える

考えていることよりも、感じていることのほうがずっと多い。

おはようございます、ヒラクです。
ブログの引越し、なかなか大変でして。
いまだ過去のエントリーのレイアウトが崩れているので、過去まで遡って見ないでね。
(って言うと見たくなっちゃうのよね)

 

さて。今日はRieさんからもらったお題について書いてみようかと。
お題は、「共感力」と「見えない力」。

この二つのワードですが、ヒラクは「シンクロニシティ」と「セレンディピティ」に読み替えました。
シンクロニシティとは「因果関係が無いもの同士を関係付ける力」で、セレンディピティは「求めているものを偶然から発見する力」のこと。

二つとも、「科学的には説明できないけど、そういうの大事だよね」的な物事をとりあえず指し示すために定義された言葉です。
例:ニュートンがリンゴが落ちるのを見て「万有引力の法則」を見つけた

一応科学的にそれを示してみようとはしているけれど、まだちゃんと裏付けがとれない仮説なんですね(なので、オカルトや自己啓発の領域で好んで使われるワーディングになっていたりする)。

 

さて、いったいこの不思議な力はいったい何なのか。

それを考えるにあたって、ヒラクは「人間に備わっている感性のセンサー」の能力を過大評価してみると良いかなと思うんですね。
要は、「考えていることよりも、感じていることのほうが断然多くて深い」ということなんです(いつもの話ですけど)。

「考えていること=認識していること」と思い込んじゃう人、多いと思うんですけど、実は全然そんなことはない。
例えばソファに座るという、「考えない動作」ひとつ取ってみても、そこには無数の認識と判断が行われている。ソファに腰を降ろしながら、お尻がソファの柔らかさを予測しながら、筋肉の動きを調整して「着地」のアクションを準備している。その結果、良い感じに「フカっ」とソファに座ることができるのです。

この一連の動きのなかで、いわゆる「思考」は介在していない。お尻の皮膚や太ももあたりの筋肉が情報を受容して、「フカっと座る」というアウトプットをしているわけですね(ちなみに、止まったエスカレーターに乗ったときの違和感は、身体が予測している動きと現実がズレた時のものです)。

で。話を戻すと、例えばセレンディピティってのは、この「思考の形は取っていないが感じ取ってはいる状態」の強度が強まっているときに発露するものではないかと思ったるするわけです。
例えば「私、パティシエ(―ル)になりたい」って強く願ったとする。そうすると、朝から晩までお菓子のことをイメージする。そうやって間断なく一つのことをイメージしてくると、センサーの極が「パティシエ&お菓子まわり」に振り切れていく。
そうするとですね、その極に近い情報が、無意識的に感じ取れるようになっていくのではないかと思うんですね。

で、そういう「センサーの解像度上がりまくり状態」になった人って、同じ状態の人を引き寄せる、というかすれ違ったり挨拶したりするだけで「あ、こいつ絶対同類だわ」みたいなメタ・メッセージを交換してしまうんですね。

で、この「思考としては顕在化していないメタ・メッセージ」の交換を「シンクロニシティ」というのではないかと思ったりするわけです。

…ま、これもあくまで「ニセ科学」的な仮説ですけどね。
でもさ、そんなこと言ったらデザイナーって仕事も「ニセ科学者」になっちゃうのよ。
なんせ、僕たちは「感じることを設計する」っていう、何だかよくわからない事を四六時中考えているわけだからね。

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