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森ビルのラジオCMが発する違和感。内容とトーンのミスマッチを考える。

最近J-waveで流れている森ビルのCM、色々と考えさせられる。twitterでつぶやいたことをあらためてノートしておこう。

このCM、虎ノ門ヒルズのPRなんだけど、違和感バリバリなんですね。
「東京は世界一になれますか」「もっとワクワクできますか」と、透明感のある男女の声でアナウンスされるんだけどさ。何が違和感って、言っているセリフの「マッチョさ」と、ナレーションしている男女の「透明感」のミスマッチ。(今どき「東京は世界一になれますか」ってねえ)

なぜこんなギャップが生まれてしまうのか…と推理してみるならば、そこには「公の声」と「民の声」のトーンのギャップがあるのであろうよ。

「オリンピックもあるし、法人税も下がるし、自衛隊ももっと外に出してオラオラ!」という、マッチョな「公の声」に対して、このCMがリーチするであろう20〜40代の「アンテナ感度高い層」の価値観は、「身の丈、社会貢献、コミュニティーを大事にしたい」という「民の声」。代理店のディレクターは悩んだ結果こう結論する。

「内容はマッチョ、トーンはふんわりでいきましょう!」

うーん、そのロジックはわからんだもないんだけどね。でも明らかにおかしいじゃん。
…とそこまで考えたときにヒラクは「ハッ」としてしまったんだな。実はこれを聴いている人たちの大半は、おかしいと思っていなかったりして…。

「人が話す」という、オーラルコミュニケーションは「内容」と「トーン」の二つが組み合わさってできている。「最近タカシ、勉強に身が入らないみたいなの…」と近所のママ友に話す母の声のトーンは、「我々わあああ、この激動の時代にいいい、いかなる犠牲を払ってでもおおお、勝たなければならないッ!」と絶叫する熱血専務のトーンとは違う(はず)。

しかしだ。
もしかすると、時代はすでにこの二つが「分離」しているという新世紀を迎えているのかもしれない。考えてみよう。テンションありきのお笑い芸や、SNSで拡散するペット動画は「トーンだけ」、政治家や官僚やお役所のおじさんがもぞもぞと何かいっているのは、人間のエモーションを全然感じない「内容」だけだったるするではないか。

「たのしく たのしく やさしくね」的に生きていきたい民は、そのような分離した状況のなかではまず優先的に「トーン」のほうを見る(twitterやLINEでは「トーン文化の超発達」を垣間見ることができる)。「キモチ的にアガる」ことがオーラルコミュニケーションのなかで重要であり、ムズカシイ「内容」はあんまり見ない。

…という、極端な状況を一度想像してみたらば、森ビルのラジオCMは別に違和感はないのだ(ガーン!)。
透明感のある男女がおだやかかつ詩的なトーンで話していることなのだから、従って「たのしく たのしく やさしくね」な内容なのだと、聴くひとのなかで「無条件の紐付け」が起こっている可能性が高いのだよ。「トーンを激しく優先する」という脳みそシステムにおいて、話される内容は常にトーンにあわせて変換される。

「我々わあああ、この激動の時代にいいい、いかなる犠牲を払ってでもおおお、勝たなければならないッ!」
という熱血専務のゲキはもちろん、

「役立たずのクズどもはああ、今すぐゴミ箱にぶちこんでええ、この世から抹殺すべきであるうッ!」
という物騒な言説も、透明感のある男女の詩的ナレーションに乗ると「たのしく たのしく やさしくね」になる。

ままま、まさかそんな極端なことが起こっているはず、ない、よね…。

 

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