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暮らしかたという病。シアーズカタログに見る、暮らしをカタログ化する欲望

昨日のヒカリエ「これからの暮らしかた」展で話したことを忘れないうちにメモ。僕が話したかったのは「暮らしかたという病」について。現代において「暮らしかた」について語ることは、実際にどういう風に暮らすのかというより「暮らしをカタログ化したい」という欲望の発露なのでは?という問いかけでした。

「暮らしのカタログ化」という欲望はベンヤミンのパサージュ論に端を発し、片岡義男やJJのアメリカンウェイ・オブ・ライフの歪んだ輸入、そこから80〜90年代のライフスタイル雑誌に至る「消費社会における自己表現」という側面を持っています。「暮らし」が自己目的化するから「病」になります。
「これからの暮らしかた」を語るということは「僕たちがいかなる病にかかってもがいているのか」ということの検証です。楽観的な未来予測や社会の展望を語ることではありません。

「暮らしかたが〜とか言っている時点でウチら超こじらせてね?」

という自己確認無しに次には進めないと思います。

シアーズカタログに見る暮らしのカタログ化

20世紀初頭まで「ライフスタイル」は文化の無意識のうちに沈んでいました。社会学者ベンヤミンの「パサージュ論」は流行遅れになったパリのアーケード街から「無意識に沈んだライフスタイルの夢」を拾い上げる試みです。

「ライフスタイル」が明確に意識化されるのは20世紀初頭のアメリカにおいて。
20世紀初頭アメリカで生まれた「シアーズカタログ」はファッション、インテリアやガーデニング商品が網羅された、日本でいうNISSENやフェリシモのはしりのような「暮らしのカタログ」。

このシアーズカタログにおいて、暮らしかたがカタログ化され、選択可能なものと見なされるようになります。

第二次大戦後、最大の戦勝国となったアメリカはシアーズカタログにあるような、ピカピカの家電や芝生の手入れされた一軒家で暮らす上品な家庭を「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」と標榜し、ヨーロッパへのコンプレックスを払拭した「アメリカ発のライフスタイル」を主張するようになります。

ところが60年代後半ベトナム戦争ががこじれてアメリカン・ウェイ・オブ・ライフ的な価値観の揺り戻しがアメリカの若い世代から登場し、「ホール・アース・カタログ」という消費社会に対する「オルタナティブなライフスタイルカタログ」が生まれます。思想はアンチだけどカタログ化という手法は一緒。

オルタナティブなライフスタイルカタログ

アメリカで生まれた「ライフスタイルのカタログ化現象」は日本で見事にローカライズされました。シアーズカタログはNISSENやフェシリモに、ホール・アース・カタログはPOPEYEや宝島などのカルチャー誌に変形され、2010年代に至るまで日本のメディアと小売のベースになっています。

でね。「これからの暮らしかた」展は「これからの」とあるようにオルタナティブなライフスタイルを提案し、かつ47都道府県というフレームで分類するカタログ的な方法論を取っているが、これはホール・アース・カタログのような「オルタナティブとしてのカタログ」なんですか?とキュレーターに質問してみました。

暮らしかた冒険家の肩書を持つ伊藤さんの答えを僕なりにレジュメにすると、

「ソーシャルなことをやっていると課題マニアみたいな人が多くて、否定することがアイデンティティになってしまう。だから未来に対して前向きに活動する人たちを集めて見える化したかった」

とのこと。つまりホール・アース・カタログのさらにアンチということになります(オルタナティブなもののオルタナティブだからね)。
カウンターカルチャーがそれなりに社会に根付いて形骸化してきているのでアンチを唱えて眉間に皺寄せてるよりは「楽しく未来をDIYしていきまーす!」みたいな朗らかさを切り取ってみるのもいいよね、という提案。

シアーズカタログの世界が終わった後のライフスタイル

これは「何回転かひねった朗らかさ」なので、実はものすごくハイコンテクスト。

「こじらせていることをメタ認識したうえで意識的に朗らかにふるまう」というのがトレンド性を持つところに「構造的な歪み」があるなと僕は感じます。「自分で暮らしをつくろう」というのは「ライフスタイルカタログの重力圏からの脱出」という意図があるのだけど、それもまたカタログ化されるというリターン・トゥ・フォーエバー感…!

そして。みかんぐみ竹内さんのコメントも面白かった。
シアーズカタログは当時のアメリカの国策であるモータリゼーションと郊外都市の開拓の推進に紐付いている。つまり国家的な産業施策を、民間事業が消費しやすいインターフェイスにアレンジしたものであるという建築家ならではの指摘。

「もし『これからの暮らしかた』展が、来たるべき時代のライフスタイルカタログであるならば、シアーズカタログとは真逆の「ロジスティクスと郊外の縮小」に直面する時代のライフスタイルの提案になるのかもしれない」

と竹内さん。歩いていけるヒューマンスケールのコミュニティでの暮らしの必然性が浮かび上がってくるといいよね、という期待がこの展示には込められているのかもしれない。

「発展する社会」と「縮小する社会」のあいだ。「選んで消費する人生」と「自分でつくる人生」のあいだで葛藤し、もがき苦しむのが「暮らしかたという病」の症状。
「カタログ化されたライフスタイル」の呪縛を解くためにカタログの手法をハックし、しかもそれを地方でなく東京でやるというアクロバット…!

20世紀アメリカで生まれた、暮らしをカタログ化し消費可能なものとする「ライフスタイル産業」は普遍的なパラダイムではない。けれどもその局地的パラダイムを「思考の前提」としていることに疑問を持たずに「暮らしとは」と語ること自体が、ある種の病の兆候なのかもしれません。

 

【追記1】ちなみに前半の僕のこの話のあと、後半はツバメコーヒー田中さんの爆弾発言が炸裂しまくって会場が爆笑に包まれました。キュレーターの伊藤さん竹内さん、示唆に富んだ話をありがとうございます!また会って話しましょう。

【追記2】ホール・アース・カタログがオルタナティブな思想を「カタログ」という既存の方法で編集したのは一緒のパロディなのではないか?と今回このエントリーを書きながら思ってしまった。

【追記3】もちろん僕自身もこの病と無縁ではない。というか、自分のスタンスで生きようとする多くの人たちは少なからずこの歪みを共有している(たぶん)。

 

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