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感情を「モノ」にして眺める。

高校生の頃まで、僕は実はかなり人見知りな性格でした。
なかなか人に話しかけられないし、数人の仲の良い人以外とは、腹を割って話せない。幼なじみばかりの小〜中学生のあいだは良かったものの、知らない人ばっかりの高校生の時は最悪で、そんな反動からか、いつも本や音楽や映画の世界に浸って、なかなか友達ができませんでした(のっけから暗い話で申し訳ない)。で、そんな鬱屈としている毎日が嫌で、アジアに一人旅をしたのが高校生の最後の年。

鬱々と暮していた、まだ赤い頬のヒラク少年は何を思ったか、小説や映画の影響を鵜呑みして、いわゆるバックパッカーの安宿に泊まり、当時まだたくさんいた(わかりやすい)ヒッピー然とした世界の馬の骨達と出会ったのでした。今でもよく覚えているのが、ドミトリーのドアをあけたら、半裸のジョン・レノンみたいな兄ちゃんと、オノ・ヨーコみたいなお姉さんがいて、瞑想らしきことをしていたこと。「本当にあるんだ、こういう世界!」とビックリしたもんです。で、そんな中で非常に他人に頓着しないユルい旅人たちと仲良くなるうちに、自分もどんどんユルくなり、今の状態にたどり着くわけなのですが。

…さて、そんな話と今日のテーマが何の関係があるのかというと。

たぶん、当時の僕は、思春期まっただ中だから当たり前なのでしょうが、自分の感情を人に知られるのが嫌で、わざと人を遠のけるような態度を取っていたのですね。本当は他の人と仲良くしたいのに。
けれども、その一人旅で、そういう自分の枠とは全く関係なさすぎる未知の人と出会うことで、自分を守ろうとするバリヤーが外れ、「この人を知りたい」という好奇心を純粋に表現することができるようになった、今思えばそんな小さいけれどもとっても大事な「気づき」が訪れた瞬間だったように思います。

当時はあまり外国語が得意ではなかったので、そんなにたいしたことは話していなかったと思うのですが、旅人たちは概して「他人をまるごと受け止める=一方的にジャッジしない」ことに長けていました(少なくとも、僕が出会った範囲の中では)。彼らは話の流れのなかでいつも、「ヒラクくんはどんなことが好き?」「どんなふうに生きたい?」と、普段ではカッコつけて話せないようなことを聞いてくれました。そこで自分も不器用ながら、自分が「何が好き」、「どう生きたい」と返していく中で、どんどん心がスッキリしていくのを感じたのです。

さて。旅の話はまた今度お話するとして、今日のテーマ、「感情を『モノ』にして眺める」です。その瞬間のヒラク少年に何が起きたのか。それは、自分の感情を人に預ける=「外に出す」ということでした。それはつまり、自分と他人で感情をモノとして共有した、という瞬間だったと思うんですね。その時僕は、感動した、とか自己肯定された!とか大げさなことではなく、「なるほど。こうやってやるのね」と妙に納得した覚えがあります。

自分の感情は自分のモノだと思ってしまうけど、本当はそんなことはなくて。

自分の中にある段階では、感情は混沌としているので自分ではコントロールできません。そこで出てくる苦しさが、「自分の所有物のはずなのに、自分では何ともならない!」ということです。
高校生のころに僕がずっと苦しんでいたのは、まさにこれだったんですね。

ではどうすればいいか。感情を自分のなかで良いとか悪いとかジャッジせずに、一度外に取り出して眺める。そのためにいくつか方法があると思うのですが、一つは

■人に説明する
です。考える=100、話す=10、書く=1とよく言うように、自分のなかでモヤモヤとしているものを人に説明する時は、「ことば」を使って現象を整理していくので、それが伝達された時点で、かなりカオス度が減少しています。相手の返事を待つまでもなく、これが達成された時点でモヤモヤはかなり解決されます。
(よく恋の相談は解決策を提示するではなくて聞くだけでいいなんて言うけど、この原理)

第二の方法は、やや高度になります。
感情がわき上がった瞬間、幽体離脱するという方法です。己の手で、

■感情を「モノ」にする
技法です。例えば、誰かに自分を批判されたとする。その瞬間に、自分のなかで怒りや悲しみがわき起こります。そのままだと、批判した相手に喰ってかかったり、あるいは別の人に当たったり、さもなくばそれをぐっとおさめて自分を追いつめたりしたりします。
その前に、いちど感情を「モノ」にしたらどうなるか。まるでお皿の上にある料理を眺めるように、「この料理はおいしそう」、「なんだこのヘンテコな料理は?」と眺める。そうすると、理解できることが多いんです。「この感情は、どこから来たのか」と。

怒りや恐れ、不安は「理解できない」ことに起因する。感情を自分のなかに送り込んだ現象の理由を理解できない。ではなぜ理解できないのでしょうか。それはとても単純な理由です。「理解するための時間を持てない」からです。感情は時間の流れを一時的に崩壊させ、突発的な行動や、その後ずっと長く続くくやしさの念を引き起こします。そして、時間の流れが元に戻った時点で、ようやく事態が何だったのか了解して、「後悔」がやってきたりする。「あの時こうすればよかったのに」と。

「あの時」にジャストなタイミングで対処する方法を考える必要があるんですね。僕は色んなところを旅して、色々な人と対話し、最近はそれが半ば生業のようになってきました。その対話になかで、何度も感情に抗えず、たくさんのものを壊してきました。多分、今もたくさん壊しているでしょう。でも数をこなすうちに、ちょっとだけ賢くなったことがあります。

それは、「感情発生=行動」のあいだに、「感情発生=モノ化=行動」の1ステップを設けるようになったことです。この「モノ化」が何をもたらすかというと、要は「時間を稼ぐ」なんですね。理解するための時間を用意するのです。時間にすれば、一瞬なのかもしれません。けれども、サッカーのペナルティエリア内で一瞬の判断が勝敗が分かれるように、この「一瞬」が超大事なのです。

時間が崩壊する一瞬前に、ちょっとだけ「ストップ」させる。その時に、感情が来た先を見通すチャンスがやってきます。

「いま、この人が僕を批判して、僕は怒っている」
「ではなぜ僕は怒っているのだろう」
「それは、僕に言ったことが的外れで、むしろ他人に言っているように聞こえたからだ」
「…ということは、もしかして、この人が批判することは、この人自身に向けられているのではないか?」

と、仮説を立てることができます。そうすると、怒りの感情が不思議なほど収まっていたりすんですね。そして、相手も自分も腑に落ちることばが出てくることがよくあるんです。「あなたは何か問題を抱えているのでしょうか?」といった類の。

感情は素晴らしいと同時にやっかいな面もたくさんあります。
素晴らしい感情は、何かを愛する気持ちとか、感動した気持ちをもたらしてくれる良いサインです。
で、僕的にはネガティブな感情もまた意味があると思うんです。「対象を理解しよう」、「自分も理解しよう」と促すサインなんでしょうね。

…となんとなく、はじめての一人旅を思い返していたらそんなことをお話したくなりました。
僕もいつか、あの素敵な旅人たちみたいなオープンマインドの人になりたいもんです。
それではおやすみなさい。

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