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感性の記憶。

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ベトナムを旅してきました。用事のない、久しぶりにリラックスした旅らしい旅でした。
そんななかで、とても印象的なことがありました。

中部ののんびりした街、フエを散歩している時に5ドルで泊まれるバックパッカー宿の軒先のカフェでお茶している旅人がいて、「わっ、いいなあ。僕も2〜3ヶ月何くらい仕事も金も心配しないでアテのない旅したい!」と一瞬うらやましくなったんですね。ただそれは過去の僕からの声で、今の僕は「もうやらないかな」と言っている。この「相反する声」から気づいたことがあったんですね。

知識の記憶とは別に「感性の記憶」があります。

自分がむかし感じたこと、その肌触りや香りが今の自分の身体のなかに流れ込んでくるような体験、誰しも感じたことがあるんじゃないでしょうか?
かつての自分に、エピソードで思い出すよりも鮮烈に、同時にノスタルジックな感情といっしょに再会する。これを「感性の記憶」と定義したいと思います。

知識と違って、感性の記憶は好きな時に呼び出せるものではなくて、特別な体験をした時にふと蘇ってくるものです。自分がこれまで感じてきたこの「感性の記憶」を喪失してしまうと、人生が薄っぺらいものになってしまうのかもしれません。
10歳の時の自分、20歳の時の自分、40歳の時の自分にはその時にしかない「感性の体験」があって人生の厚みをかたちづくっていく。ただその記憶は定期的に思い出してあげないといけない。例えば旅をしたり、何か表現してみたり、誰かと特別なシチュエーションで一緒にいたりすると「感性の記憶」が蘇る。

感性の記憶の蘇りは「違和感」となってあらわれます(だって、自分のなかに異質なものが流れ込んでくるわけだからね)。バッカパッカーを見て「いいなあ」と言ったのは20歳の僕で「今はやらないかな」と言ったのは今の僕。20歳の僕と今の僕は反発しあっているわけではなくて。

「兄ちゃんいい人生送ってんなあ」
「おっさんもな!」

と笑顔でVサイン交わしてるんですね。

歳を重ねるほどに思考が柔軟に、他者に寛容になる人は「感性の記憶」を豊かに持っている人です。いつでも「自分のなかにいる違う感性の過去の自分」と対話しているから、他者に対しての好奇心を失うことがない。旅や芸術に触れるのは教養のためではなく自分のなかの他者を忘れないためですね、きっと。

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