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思想としての発酵。不確かさを醸す楽しみ <β版>

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紀伊国屋梅田本店が書いてくれたPOP。そう、発酵は人間の文化そのもの。

「美味しい」「身体にいい」を超えた意味を僕たちは発酵に見出し始めている―

新著『発酵文化人類学』を刊行してから二ヶ月ちょっと。全国の発酵好きコミュニティはもちろん、もっと広く文化やテクノロジー一般に興味のある人たちからの感想をもらいました。

そこで気づいたのが「思想としての発酵」という可能性。単に「美味くて身体に良い食文化」ではなく、世界の見方、自分の生き方のヒントを発酵という現象に求めている人が多いことに驚きました。

『発酵文化人類学』という本を出してしまった以上、このアイデアをちゃんとまとめておかねばならぬ…!ということで、最初のベータ版として「思想としての発酵」を僕なりにまとめておきます。

必然性:不確実性と複雑性を愛でる

考えてみるに、現代はあまりにもモノの見方が方程式化してしまっているかもしれません。
「この仕事をしたら、こういう風にお金が儲かって、モテます」というノウハウは「A(仕事)×B(お金)=C(モテる)」と方程式のような構造になっている。これはこれでライフハックとして有用かもしれませんが、何でも「A=B」のように「イコール」でつなげてしまうことに少なからぬ違和感を感じている。

なぜなら僕たちの人生はもっと不確かなものに溢れていて、「A≠(ノットイコール)B」であることが当たり前だから。「モテるようになったけど、ずっと好きだったあの人には嫌われた」みたいなことがあるわけです。

だから「イコール」の方法論とは違う、「ノットイコール」の思想が欲しい。誰しもが人生で抱える複雑性を肯定してくれるモノの見方が欲しい。

で、それが発酵なんですよ、奥さん。

『発酵文化人類学』に出てくる醸造家たちの仕事は、複雑さや不確かさのなかから生み出す創造性を象徴している。
お味噌やお酒は「このボタンを押したらポップコーンが弾けて出てくる」みたいな単純な仕組みではつくれない(できないこともないけど美味しくない)。
食材の質はもちろん、醸す場所の気候や微生物の種類や働きなどの複雑な要素によって出来上がりが左右される。

発酵において、醸造家(人間)は本質的に「つくる」ことはできない。できるのは「仕込む」ということなんだね。食材や微生物や気候の相互作用によって何か未知の、でもイケてるサムシングが生成されてくる「環境」をしつらえる。自分とプロダクトのあいだに「何が出てくるかわからないブラックボックス」を置く。「A(自分)=B(プロダクト)」の方程式に「F(発酵)」を置くことによって「A(自分)×F(発酵)=X(未知のもの)」ということになり、「ノットイコール」が発生する。

大事なことは、発酵においては「イコール」より「ノットイコール」のほうがイケてるということなんですね。お味噌にしてもクラフトビールにしても「飲むたびに微妙に味が揺らぐ」ことが美味しくて楽しいわけです。

「世の中なんでも計算できるわけじゃねえんだよ、べらんめえ」

という八百屋のクマさんの主張は、発酵においては正しいということになる。
発酵という見立てを使うと「不確実なものこそ有用である」ということが具体的に証明されることになる。これが「思想としての発酵」の「必然性」なのだね。

方法論:サムシング・ニューからサムシング・スペシャルへ

じゃ、次いこう。
『発酵文化人類学』の手前みそムーブメントの章で述べたように、発酵食品の仕込みは「世界観のパラダイムチェンジ」を体験する入り口になる。
そのパラダイムチェンジとは、「サムシング・ニュー」からサムシング・スペシャルへの飛躍を意味している。

えーとね、要は「社会一般にとって新しいこと」を追い求めるのではなく「自分にとって特別なこと」を味わおうということ。「世間においてどんなNEWを提示すること」ではなく「自分においてしっくりくることを大事にすること」、「結果」ではなく「過程」に軸足を置いてみる。
例えば手前みそを仕込むことは何百年も前から続けられているフツーのことなんだけど、やってみるとその人だけのスペシャルな体験を味わえる。みんなで共有できるのに、一人ひとりが特別感を味わえて、しかも出来上がりもそれぞれ違う。誰がいちばん美味しいかという正解もない。
そこには「プロセスを味わう喜び」と「喜びを共有する楽しみ」がある。これが「サムシング・スペシャル」的な世界観。

これだけ世界中の情報がネットを介して同期されると「世界で誰もやっていない自分だけのNEW」の難易度が上がりすぎて、そこに価値を見出すことにほとんど意味はなくなる。
だから「人と比べてのNEW」ではなく「自分だけのSPECIAL」に評価の軸足を移してもいいんだと僕は思うんだよね。

発酵文化において奥深いのが、長く続く価値をもったプロダクトのほとんどが「競争」ではなく「共創」によって生み出されていくこと。「それぞれの人が自分の感性で試したこと」が共有知になって技術が洗練され、同時に味の多様性が生まれていく。「これはオレだけのNEWだ」と囲い込むことではなく「オレとオマエの味噌を交換しようぜ」と共有していくことで個性が生まれ文化が生まれていく。

「サムシング・スペシャル」は自分だけの世界に閉じこもることではなくて、それぞれのスペシャルを分かち合うことだ。新しさを追い求めすぎると、世界は貧しくなっていく。新しさを追い求めるのではなくて豊かさ、楽しさを醸し出していく。これが「思想としての発酵」の「方法論」なのであるよ。

創造性:情報未満のプクプクを醸す

急がないこと。機が熟すまで待つこと。「のんびリズム」こそが世界を豊かにする!(←藤本さんのキャッチコピーを借りました)。

発酵のキモといえば「時間をかける」こと。
おいしいお味噌ができるまで半年〜1年。ワインもウィスキーも熟成させることで味わい深く、格調高くなっていく。「時間を省略すること=急ぐこと」は発酵にとっては無粋だ。

懸命な発酵好きの皆さまがお気づきのとおり、この価値観は「限りなく時間をゼロに近づけていく情報社会」のカウンターになっている。なるべく大量の情報を超高速で処理することにより最適解を見つけだす、時間を「コスト」とみなす世界観がスタンダードとなるなかで、時間の経過を「リソース」として逆転させるのが発酵のダイナミズムなのであるよ(←我ながら良い事言うなあ、自分)。

なぜこのようなことが可能になるかというと、前述の「ノットイコール」の方法論のおかげ。事前に計算ができない、複雑な化学反応がモノの出来上がりを決めるということは「未知のことが起こることを待つ」というのんびりさが必要になる。

これを僕たち人間の行為に当てはめてみると「わからない状態のまま宙吊りにする」ということになる。すぐ解決しようとしない。ものごとを単純化してわかった気にならない。積極的にもやもやする。積極的にのんびりする(なんか矛盾した表現だけど)。

この「もやもや」には雑多なものが出入りする。例えば半年間もやもやした場合、半年前の自分と半年後の自分という「複数の自分」がコミットしている。あるいは「もやもや」の前で「なんかこのもやもや、面白いねえ」と立ち止まって世間話を始める友達がいるかもしれない。もやもやが宙吊りになっているあいだに人の変化、気持ちの変化、時代の変化が化学反応を起こしていく。
すると、良きタイミングで自分の当初の予想をはるかに超えるなにか最高に不可解でイケてるものが出来上がる。

目の前で起こっている現象や、自分の身体やココロで感じたことを、すぐ定義して分割できる「情報」にしないこと。情報未満の液体が好奇心のタンクのなかで「プクプク」発酵するのを楽しむ。

「急いでやり切らない」「中途半端な状態を面白がる」「変化に自分を委ねる」ということが豊かなクリエイションを生む。これが「思想としての発酵」の「創造性」だ。

生態系:「イキモノの視点」を取り入れたオルタナな世界観

「イコールではなくノットイコール」「サムシング・ニューからサムシング・スペシャルへ」「情報未満のプクプクを楽しむ」。複雑で、不確実で、その時限りにだけ起こりうる、なんだかもやもやしたものから生まれる創造性。

これはつまり、現代における「オルタナティブな世界観の提示」。であると同時に、微生物学をやっている僕からすると「微生物から見た社会のカタチ」であるように思える(←『発酵文化人類学』のサブタイトル)。

『発酵文化人類学』のギフトエコノミーの章で掘り下げたように、微生物は地球の生態系をかたちづくり、生物界の基本的なルールを定めたスゴい存在だ。なんだけど、その実態を見てみると捉えどころがなくて、自分勝手で気まぐれで、しかも放っておくとすぐに遺伝子を改変させて別のイキモノになっていく曖昧な存在でもある。しかし生態系全体で考えるとものすごく巧妙なやり方で地球の大気や水や土の物質循環をプロデュースしている。

「プロデュースしている」とか表現してみたけど、別に株式会社のCEOみたいなリーダーがいるわけではなく、めいめいが自分の生存条件に従って一生懸命生きていくうちに結果として生態系ができあがっていく。長い長い時間をかけて、個々のバラバラな生き方が関連しあい、超巨大な規模の生態系をつくりあげ、しかもその生態系は大企業病にかかることなくいつまでもしなやかにトランスフォームしながら持続していく。

僕の勝手な表現でいえば、これは「イキモノ的なシステムの生まれかた」だ。
複雑性やもやもや、宙吊りの時間を織り込んでの生態系のデザインなのであるよ。

僕たちは「発酵」というものを通して「イキモノ的でしなやかな世界」の可能性を見出そうとしている。今はまだ「仕込み」の段階なのだけれど、それは近い将来に具体的な社会論やテクノロジーとして「発酵」し、実践されていくのだと思う。

…とこんな感じで「思想としての発酵」のベータ版はおしまい。
続きは今月の7月21日、ドミニク・チェンさんと一緒に発酵思想家(←勝手に命名)になって「思想としての発酵」を醸していきたいと思います。ドミニクさん、どうぞよろしく。

・謎発酵〜手前みそからシンギュラリティまで、未来を菌と情報から読み解く謎トーク〜

 

【追記1】「思想としての発酵」が登場するまでには、坂口謹一郎博士から小泉武夫センセイにいたる日本の発酵学の偉大な伝統、寺田本家やタルマーリーたち醸造家の実践哲学がまずあってだな。そこから自分の活動でいえば2011年に五味醤油の若旦那とつくった『てまえみそのうた』から始まって、2014年のソトコト『発酵をめぐる冒険』、2015年の超ロングヒットを記録したwiredの記事、2016年のspectator『発酵のひみつ』、greenzで開催した『発酵デザイン講座』を経由して2017年の『発酵文化人類学』にまとまりました。
この「じわじわくる感じ」、発酵っぽくていいでしょ。

・発酵は「人間だけの世界観」を越えた新しい関係性をぼくたちに見せてくれる | wired

・SPECTATOR最新号『発酵のひみつ』は僕の本だ!(と言いたい)

・【発酵デザイン入門】暮らしに関わる微生物&バイオテクノロジーの初歩を楽しく学ぼう

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