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小さな宿に詰まった未来。

ヒラクです、こんばんは。
週末は、WEBプロデューサーの烈と、ワインツーリズムでも一緒だったwato、それとwatoの会社で働く新卒一年目のナイスガイ吉田くんで、山中湖の宿「ホトリニテ」で一泊。二日間かけてそれぞれの「ビジネス」についてアイデアの出し合いをするという主旨の「オトコノコ」な会でございました。思いがけず明治学院大学で文化人類学の先生をやっているいのっちさんにも出くわしたり、サイレントボイスの相澤さんに会ったり、ホトリニテ、あいかわらず面白い人が集まってました。
さて。そんな素敵な「ホトリニテ」の宿主、++のフリーペーパー「地営業通信」の記念すべき創刊号に出てもらった高村直喜(通称ナオ)くん。このブログを読んでいる方のなかにも、彼の営む宿に遊びにいったことのある人は多いのでは。今日の記事はこのナオくんとホトリニテについてのお話。
初めて会ったのは、ちょうど2年前くらい。五味醤油の若旦那の妹でアーティストのごみふみちゃんの紹介でした。時期は、ちょうどナオくんがお父さんの保養所を引き継いで宿「ホトリニテ」にするための準備をしている頃。で、初めて顔を合わせて話しだした瞬間、「あ、こいつオレとよく似た人生を送ってきた」ということがわかってしまったんですね。理由はよくわかんなけど、なぜかそういうことって「わかって」しまう。「自分の人生」というストーリーを、相手の人生に重ね合わせるようなかたちで「創作」し「再発見」する。「お前に会ってわかった。オレの人生はこうだ」という感覚です。
で、ほどなくして「ホトリニテ」がオープンしてから、そこはヒラクの「定宿」となりまして、たぶん両手で数えられないぐらい行っています。このホトリニテ、不思議なところなんですよ。湖から徒歩15秒、さびれた純喫茶やボーリング場に挟まれて、外観はまんま「野暮な保養所」。でも、入り口には手作りの可愛いのれんがかかり、扉を開けると、若いアーティストの描いた富士山の壁画が描かれた玄関。そこを抜けると、40畳くらいの大きなリビングに、無垢のフローリングが敷かれ、センスの良い本棚や、畳の小上がりがつくられていて、観葉植物がわさわさしている。
行く度に、地元の山中湖村、山梨県や県外(京都とか東京とか、九州とかバラバラ)の面白い老若男女が集まって、何か情報交換をしていて、僕もそこに加わって面白いアイデアをもらったり、そこで出会った人とプロジェクトを始めたり、いつでも刺激があるんです。
僕のなかで、「地営業」という概念が浮かんできたときに、その具体的な姿として「ホトリニテ」があったんですね。
「新しい」けど「頑張ってない」。「古いもの」を認めつつ、でもそれを「背負わない」。「大義名分」よりも「センス」を取る。
まず「全国からゲストを呼んでイベントをやりまくる宿」という形が面白いし、プライベートを満喫するはずの宿なのに、人に出会いまくる。そして彼自身はDJだし、海外もよく知っているからセンスがいいのに「あえてまんま保養所でOK」とする寛容さ、というか一周回ってベタを良しとするセンス。さびれていく地域のなかで求心力を持てば、色んな役割を期待されるはずなのに「ぜんぜん頑張らない」。
僕はそういう姿勢にたいへん共感しつつ、自分も同じスタンスでやってきたのか、ということを再確認したわけです(だから、会った瞬間に「よく似た人生」だと思ったわけですよ、後付けですが)。
諸先輩方からすれば「もっと頑張れ」とか「思想を持て」とハッパをかけたくなるような姿勢ですが、実はそういうことじゃないんですね。この姿勢には実は「歴史性」がある。戦後のモダニゼーションに対する「アンチの思想」から生まれた行動としての「地域へ向かう」「共同体へ向かう」ということが、僕たちの世代では一周回って「スタンダード」になったのです。だから、センスの良いヤツはすでにそれに気づいて、ごく自然に「血肉化」している。
ナオくんや五味醤油の若旦那の場合はすでにそういう姿勢が身体化しているので、「思想が身体(というか日々の営み)に内包されている」という状態になっています。
えーと、親から聞いたり本で読んだりしたことからの大づかみの推測ですけど、たぶん60年代から70年代はじめの「あの時代」でアンチな生き方をはじめた人にはたぶん相当シリアスな感覚があったと思うんですね。その土地の風土性という「ローカリズム」を捨てて、戦争に負けたことで日本という「ナショナリズム」も捨てて、戦中は全否定のアメリカのモダニゼーションに進んでいく。当時センスの良かった人は、「なんかおかしい」と気づいたはずです。でもそこには「アンヴィバレント感」があったのではないでしょうか。
「モダニズム」を拒否すると「戦争を引き起こした軍国日本」を取ることになる。今から見れば別にそんなことないじゃんと思う二者択一がそこにあったからこそ「中国の文化大革命」とか「共産ソ連圏」という「第三の道」に憧れた。
そういう「イデオロギーに翻弄される世界」がその時代にはあって、で、「イデオロギーはもういい」ということで、都市から離れていって、一見アナクロな暮らしを手作りしはじめた人たちがいた。でも、その第一世代にも恐らく「イデオロギーの呪い」みたいなものがあったと思うんですよね。「イデオロギーにおもねらない」というのが既に「アンチ」になっている。どれだけ脱「ナントカ主義」をしようとしてもそれが「ナントカ主義」になる…みたいな無限後退が起こる。そのなかで、必然として「理論武装」をしなければならなくなっていく。これはたぶん、その時代特有の「呪い」だったんでしょうな、とヒラクは思うんですね。
だから「イデオロギーに翻弄される世界」が終わった後、僕たちはその時代とはぜんぜん違うスタンスを取ることになった。それがよくも悪くも「身体的な感覚で捉える」ということで、ナオくんのようにごく自然体でかつての「イデオロギーの呪いから離脱するための生きかた」みたいなのを具現化することになった。だから、僕たちはかつての時代のように「思想的主張」をしない。何かの「意義」も求めない。だって、「それを言語化する」ことから始めたわけじゃないんだもん。求めているのは暮らしのうえでの「しっくりくる感」なのです。
なので、しばしば「言語化することから始めざるをえなかった世代」から「彼らは悪くないことをしておるのに、なぜその意味を主張せんのだ」と訝しく思う。その考えもわからないことはないけれど、僕はそれをあんましフェアな物言いじゃないなと思うんですね。そういうことを言う人には「思想として理をとくことが正である」という意識が見える。でもさ、その認識自体がある時代のフレームにはまっている可能性があると思うんです。
大学の夏休みに、突然中東とかアフリカとかの国へいってボランティアしてくる子がいるじゃないですか(友達の安田くんは、娼婦街に行って彼女たちの話し相手になっていたらしい。すごいよね)。けっこうすごいことを「普通」にやっている。で、本人も普通。「その時代の人」はたぶんその子たちになぜお前はそれをやったのか、「説明しろ」というけど、たぶん説明できないと思う(したとしても、「人の役にたちたい」というような「テンプレことば」になる)。理由は前述のとおり。それがその子にとっての「しっくりくる感」なのですよ。
一見とらえどころがないこの世代の行動には、実は「歴史性」がある。僕はそう思っているんです。
イデオロギーと翻弄されつつ戦った親たちのことばを地肉とし、その世界観を経たうえでのライフスタイルを割と地道につくっている。あくまで「自分の捉えれる範囲」での「意味」を構築しようとする。そしてそれを「楽しく朗らか」にやる。そういうやりかたが一番「長く続く」のですよ。絶望したり転向(おお、日常生活では使わない言葉だ)したりがあんまりないからね。僕はこういう「あっけらかん」としているのが好きです。
…しかし!僕の世代にはそれなりの呪いがあるのであって、それは「経済に翻弄される世界」に生きている、ということに尽きるでしょう。これから僕たちは「しっくりくる」生活をしながら「多様性を許さない経済システム」というものと上手く折り合いをつける術を発明していく、そういうことに挑戦していくのだろうな、とヒラクは直感で感じているのです。そして、その一つの答えは山中湖の小さな宿、「ホトリニテ」にある。
みなさま、機会がありましたらぜひ一度訪ねてみてくださいね。そこには、とってもフレンドリーであったかい「未来」がありますよ。

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