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委ねることで、ブレークスルーが起きる。

ここ1年半ほど、僕たちは「++セッション」という能力開発ワークショップをやっています。

これは、「フレームワークで参加者の潜在能力を引き出し、それをチームプレイで掛け合わせることによって超高速でアクションプランを作り上げる」というもの。

回数を重ねていくうちに、タイムキーピングやワークシート、ファシリテーションの技術も向上していったのですが、それ以上に大事だと気づいたことが「自分を信じ、相手を信じ、力を委ねる」という意識のつくりかたでした。

「うまくやらなきゃ」と自分を追い詰めたり、「これって、◯◯じゃないですよね」と相手をにべに批判したりしない。
「抱えず悩まず朗らかに」。これがブレークスルーをもたらす強力なエンジンになるのです。

とはいえ。
現実の世界はそうもいかない。

というか、こういうテーマをわざわざワークショップで扱うぐらいだから、実際の社会はこれと「正反対の力学」で動いているのでは…と思うことがしばしばあります。

 

助けを請うのか、脅すのか。

仕事の現場でのケーススタディをしてみましょう。
例えば、納期がギリギリなのに追加の仕事が発生し、しかも費用は上乗せできない。
で、作業してもらう人に電話するときに、依頼する側は往々にしてこんな態度を取ってしまいます。

「すいません、こないだお願いした仕事なんですけど…、なんというか、当初のイメージと全然違うんですよね。」

「(えっ、こないだOK出したじゃん)そうですか。じゃあ直しの作業が必要なんですね。」

「はい、それもそうなんですけど、こちらとしましても、クオリティの低いものを出されて困っているんですよね。」

「はい、すいません(じゃあ早く言ってよ)…」

「納期ギリギリなので、今回はこれで妥協します。その代わり、実は別件の作業が…」
はい。
これを読んだそこのアナタ、「わかる?」とか、「あっ、これオレもやっちゃったことある(汗)」とか、色々思い当たるフシありません?

こういうケースって、本当はこうも言える可能性あるんですよね。

「先日は素晴らしいお仕事、どうもありがとうございました!いや?、スタッフ一同感動してます!」

「どうもありがとうございます。いやあ、そんなに言ってもらえると照れますね。」

「それでですね、実は1つお願いしたいことが…」

「はいはい、何でしょう?」

「実はこちらの不手際で、1つ追加の作業が発生してしまいまして、納期ギリギリのタイミングで本当に申し訳ないのですが、今回かぎり1つお願いできないでしょうか…」
2つのケースはともに、「急ぎで追加作業お願い!」なんだけど、コミュニケーションのモードが全然違う。
前者は「相手に罪の意識を持たせて、それに贖い(あがない)をさせる」という発想です。
対して後者は「困っているので、助けて!」という素直なメッセージです。

交渉術においては正解は無いので、どちらが正しい、ということは一概に言えない。
けれども、お願いをされる側の意識をトレースしてみると、どちらが「成果が出るか」は自明だと思います。

前者のケースだと、話を受けた側も一応「すいません…」とか口では言うんだけど、薄々わかってるんですよね。
「コイツ、オレをいいように使いたいわけね、イラッ!」と。

後者では「あらあら、困っているのね。手際が悪いのは良くないけど、オレもそういうことあるし。」と、まあ好印象ではないにしろ「イラッ」とはしません。

お願いしたのがクリエイティブな作業であれば、そりゃ当然後者のほうが良い物ができると思うんですね。
「困った人を助けよう」という気持ちって、しばしば予想以上の力を出すものだし、お互い内情を知った上でのコミュニケーションだから、屈託がない。

…と思うんですけどね。現実は前者のほうが圧倒的に多い。

それはなぜなのか、この思考回路をもうちょっと追跡してみようと思います。
(意地悪だな、自分)

 

ブレークスルーの力は、「誰かの役に立つ」ことから生まれる。

結論から入りますが、こういう発想をする人って、おそらく「自分の予想を超えた達成」をあんまり体験したことがない人だと思うんですよね。
つまり「ブレークスルー」という不可思議な体感を知らない。
何となく人助けをしようとか、何かの役に立つことをしようと思って事を始めたら、今まで知らなかった自分の潜在能力が開花して、かつ周りの人たちの協力もどんどんと集まって、いつの間にか当初予期していなかった大きな達成をしていた。

「はて、思い詰めたり、耐え忍んだりしてないのに、どうしてこんなことができちゃったのかしら」というミラクルって、実はいつでも誰にでも起こりうる。

その時に必要なのは「自分以外のものに利益を目指す」ということと「周りに信頼される」という状況。
そしてその結果もたらされる「決して後ろ向きにならないポジティブな意識」です(ここは力強く断定するとこ)。

この時に、人はもっとも力を発揮する。素敵なアイデアと、軽快なフットワーク、そして情熱が熱く燃え盛り、周りを巻き込んでいく。

僕は、こういうブレークスルーの瞬間に様々なプロジェクトを通して何度も立ち会ってきました。
その結果思ったのは、人が何かを成し遂げるモチベーションは常に「自発的」であり、「強制」はできない、ということです。
(まあ、当たり前だよね)

でも、一方ではこういうことを「知らない」、あるいは「信じていない」人も多々いるということも身を持って知ったんですね。

オレが「やれ」と言ったことを、言われたとおり「やらせる」。
それで世の中うまくいくし、人間の能力を定量化し、コントロールしていくことが「成果を出す」ということなのだ。

そういうことを信じている(そしてそうでないことを信じていない)人がいる。

でもね。その力を使ってできることって「拡大再生産」だけなんだよ。
「やれ」と言ったことを「やる」存在って、要はマシーンなんだよ。
「お前は罪を犯した、だから贖え」という姿勢は、前時代の意識が作り出した「交渉術」の名を借りた「パワーゲーム」です。

オレがマスターだ、そしてお前は操縦されるマシーンだ。

本当はお互い生身の、喜怒哀楽を持った生身の人間なのに、そういうしょうもない「マウンティング」に明け暮れている。
(まあ、それも動物の本能ですけど。とほ)

そのコミュニケーションで主眼になっているのは「成し遂げること」ではなくて、「どっちが偉いか」にすり替わっている。
こういう行動を取る人は「このやりかたが合理的なのだ」と無意識に思っているかもしれないけど、

これをやっちゃうと、一緒に何かをする人が、「敵」という定義になっちゃうのよね。
だから、短期の戦いで言うと有利かもしんないけど(泣き寝入りさせるとか)、中長期で言うと、必ず敵に何らかの形で復讐されることになる(仕事を頼む人がいなくなるとか)。

てなわけで、ある局面で「服従させるか、それともお願いするか」という選択肢が出てきたときは、僕はなるべく素直なほうを選びたいと思う。
だって、そっちのほうが絶対ひとの潜在力を発揮させるし、僕もやましい思いしなくてもいいもん。

今対面している誰かを信じて、力を委ねる。

このシンプルな原則を大事にしたい(でも、全ての人にそうするわけじゃないけど)。

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