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半年も前のお話だけど…

お粗末なことに、半年も前の記事に対して頂いたcalmさんのコメントに対して返事をするのを失念していましたので、なんとも調子っぱずれのタイミングだけど改めてヒラクからレスポンスいたします。
ちなみに、くだんのエントリーは、『借りを返す』という生きかた。
コメントも引用します。

>モバイルゲームのようなIT産業の中のニッチ領域だったり、情報インフラだったりは借金ゼロの新しい産業と言えるでしょう。
→金融工学も含めて、これらってニセモノの信用創造だって思うんです。
代替エネルギーに言及されているようですが、それらへの解決案をニセモノの信用創造(と私は考えているもの)に求める風潮はより危険だと思います。

現代に置ける価値(貨幣価値含む)は信用創造に由来してると思うのですが、地場産業のような信用創造と、前述のニセモノの信用創造は分けられていくべき。それこそ、お金の単位として!

そんなことを考えていたので、ブログおもしろかったです。


まずはおほめ頂きどうもありがとうございます。
もっとはやくにレスポンスしたかったのですが、なんとなく自分のなかでしっくりする次のことばがみつからなかったので放置してしまいました(汗)。ですが、このタイミングでなんとなく僕はcalmさんの意見に対して悪くないことがいえる気がします。
僕の友達は、ITベンチャーや経営や金融などのコンサルティングで働いているヤツがたくさんいます。
概して彼らはとっても頭が良くて、風通しがよくて、すごく「良い奴ら」です。彼らと世間話をしたり、飲みにいったりすることはとっても楽しいことです。

なもんで、僕は「ITベンチャーや金融ではたらくヤツはけしからん」ということはとても口にはできないという背景があります(calmさんが20〜30代だとしたらきっと同じ状況だと思います)。

さて、それを踏まえて善悪判断とはちょっと違う観点からお話をば。

ITベンチャーや金融工学や人材コンサルティングが良くも悪くも注目を集めるのはなぜか。
それは、端的に言えば「成功しているから」です(お金の面での成功という意味ね)。なぜ成功するのか。それには二つの理由があるからだと思っています。1つは「頭が良くて、風通しが良いヤツが集まっているから」であり、もう1つは「その産業自体の歴史性が無い」からであると思っています。
そして、この2つの理由は緊密に結びついていると僕は考えます。

歴史性が無いとはどういうことでしょうか。それは、「先人がいない」ということです(一世代上のヒーローとかはいるけどね)。つまり、「うるさいおっさんがいない」ということで、「のびのびとやれる」ということです。
頭が良いヤツは、そのことの本質を見抜きます。つまり、「自分の能力を、よくわからんパワーゲームに消費しなくてもいい」ということです。そのことによって「風通しがよく」どんどんと進み、従って「成功」します。
歴史性が無いということは、もう1つの利点があります。それは法規的なフレームが未整備であるということです。つまり、政治領域のおっさん達が「これはダメよ」、「あんたはダメよ」という「ビジネス以外の領域から来るダメ出し」がほとんど無いということです。そりゃそうです。「スマホって何の略?」って言っている人達が、スマホアプリがもたらす恩恵とか社会的弊害を理解して、適切な法的フレームを用意するのはかなり難しい。

できるのは、「子どもをだましてお金を巻き上げちゃいかん」みたいな、「ニフティサーブとだいたい一緒のことでしょ?」という技術認識と居酒屋のカウンター的正論が渾然一体になった「倫理的裁き」になる(ちなみにこれ僕の勝手な推論ね。本当は先端のエンジニアリング技術を持った人がいるのかもしれない)。

そんで課金システムを禁止したら、またそれとは違う、既存のテクノロジーの枠組みの外から来るビジネスモデルが出てきて、それがある程度のマーケット規模になると「けしからん」みたいな事を繰り返しているうちに、いつしか今の現役エンジニア達が管理職化し、そのうち政治的・ロビー的になって、「歴史性」みたいなものが出てきたときに、もはや僕たちが想像したこともない、また新たな「○○ベンチャー」みたいなフロンティアを目指して、頭が良くて風通しの良い奴らが移動していく…。
そんな構造になっておるんだと思うんですね。

僕は、金融工学やITベンチャーを、技術論的に見るというよりは、「規制が無い領域で戦えるヤツは、規制だらけの領域で戦うヤツよりも勝てる可能性が高い」という風な観点で見ています。

特に何かがリセットされにくいこの国の社会制度でいうと、歴史性を持つということは、どんどん「ダメよ」が増えるということイコールだと考えます。こと、「経済競争に勝つ」ということを最大の目標とするのであれば、「ダメよ」は極力ゼロであることが大事になります。格闘技で言えば、金的も目つぶしも何でもOK、というルールのヤツが勝っちゃうでしょ、多分。

言い方が乱暴になってしまいましたので、ここでちょっと僕の立場を整理します。

「ダメよがゼロ」の状況は、どこかで傲慢になってしまうのではないかと思います。対して「ダメよだらけ」の状況は何も新しいことをやる気をなくすので、卑屈になるのではないかと思うんです。
僕はそのあいだの「良い塩梅」というものを探していました。で、その結果合同会社++を仲間と一緒に立ち上げるにいたった。たぶん、周りからは僕たちはちょっとヘンな立ち位置というか、50後半から60歳くらいのおじさまおばさまたちから見ると「ベンチャービジネスっぽい」「なんかWEBとか詳しそう」みたいな感じで期待されて、同世代から見ると「なんか森とか田んぼに足しげく通っている」「んーと、NPO系?」みたいなねじれの構造で認識されていると思います(たぶん)。それは、前述したことのバランスを色々考えた結果なのかなと思っています。

で。僕のいつものブログの話を読んでいる人はおわかりの通り、僕たちは仕事というものを「お金を稼ぐ」と「生態系・共同体への寄与」の両方から捉えています。それはなぜかというと、この世界の営みを、良い感じで持続させる、ということに主眼を置いているから(対価がないと続かないしね)であり、今回の話でいう「歴史性」というものにコミットするための装置として「仕事」を捉えているからなのです。

実際現場に入ってみるとわかるんですけど、農業とか林業とか、よくわからない不条理な「ダメよ」でがんじがらめになってるんですね。で、みんなその不条理さで辛い思いをしている。その結果、業界内のヒエラルキーでいがみあったりとかして、ますます疲弊している。そんな状態の「覇気がない」チームがうまいこと成功するのって、なかなか難しいじゃないですか。
その時に、僕は友達たちの「風通しの良い感じ」を思い出して、その方法論を「ハッキング」する。
そのことによって、ほんのちょっとだけ変えられることがある。そういう役割に、喜びを見いだしているんですね(お金もしっかり稼ぎますよ)。

歴史性のない場所にいると、歴史性は重たく、めんどくさいように見える。でもそれは歴史性の重要さを見くびっているというよりは、その「閉塞感」に近づきたくないと思うんですよ。だったら僕たちはそういうものをどんどん風通しよく、巡りよく、調子よくしていく。その先に、新しい経済感があらわれてくるのかなと。

その動きはすでにあらわれているし、多くのセンスの良い若者たちが実際に成果をあげています。で、合同会社++も、そういう必然のなかに生まれた(良い意味で)ワンオブゼムなわけですね。

最初に戻りますと、僕はITベンチャー等の社会的意義には賛成意見も反対意見もありますが、「勢いの良さ」みたいのにはものすごく好意を持っています。近いうちに僕たちが歴史性に潰されそうになっている場所を風通しよくできた時に、そういう「勢いの良さ」をウェルカムできたらいいなと、最近切に願っております。

…って、読み返してみたら質問の答えになっとらんな。すいません。

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