▶はたらくこと、生きること

僕は「自分で神輿をつくるひと」に興味がある。

昨日は三ノ輪へ行ってきました。
友人の編集者・プランナーの川村庸子さんが独立して「UNDO(運動)」という街場のギャラリーををつくったということで、遊びにいってきたんだな。

神輿をつくるひとに興味がある。

川村さんは「シブヤ大学」のプロデュースや企画に関わってきたハイブリッドな編集者。なんだけど、わざわざビルを借りてお店にするという「本業とは直接関係ないリスク」を取って独立したのが気になっていたんです。

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↑いかにも東エリアな道路を歩いていると突如あらわれるざっくりした建物。

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↑間口の感じに比べて、奥行きがなさすぎて一瞬混乱。よしずがいい味出してました。
※写真はUNDOの広報から拝借。

昨今、コワーキングスペースとかシェアオフィスとかあちこちあるでしょ。
フリーランスの文化も業種問わず育ってきたから「独立のハードル」は確実に下がった。それはとても良いことだと思う。けれども、そういう世の流れになってくればこそ、あえて「妙にリスクを背負って自分の船を漕ぎだすひと」というのが僕は気になるんだ。

なんていうのかな。「神輿に乗るひと」ではなく「神輿をつくるひと」。

川村さんにはそういう「手作りでおもろい神輿つくったるわ!」という熱をびしばしと感じるから、話すたびに元気が湧いてくる。
いわゆる「イマドキのコミュニティ」の空白地帯、三ノ輪でゼロから場を立ち上げようとする熱気が、これから色んな人を巻き込んでいくんでないかな、と思ったぜ。

東エリアには「地域の共同体」のDNAがあるのかもね。

で、話は変わって。
モコメシさんの浅草橋のアトリエや、一緒に仕事をしている美学校のある神保町界隈、あと最近だと蔵前とか、実は東京の東側って、「地域共同体のDNA」が潜在的にあるんじゃないかな、って思うんだよね。

というのもね。東エリア(といっても色々ありますけど)って、都市計画が江戸の頃まで遡るから、下町だったとこに関しては「大幅な都市計画」の手が入っていないところがたくさんある。大幅な都市計画が及んでいないってことは、車をベースにしたプランじゃないので、人間が生身で移動する「こじんまりしたスケール」が残っているということ。

そういうところには、小さな商栄会とか自治組織のようなもの、お祭りの機能みたいなものも残存しているところがたくさんあって、実は「地方よりも地方っぽい」人の関係性が残っていたりするらしい(←僕は東のひとじゃないから聞き覚えだけどね)。
見てくれはコンクリートになったり新建材になったりしているけれど、構造が「かつての姿」を維持しているとしたら、地域の共同体は生き延びる可能性がある(←これは色んなフィールドワークを通して感じた僕の実感)。

でね。そういうのが残っている場所って、それこそ川村さんたちのような新しい世代が入ってきたときに、DNAが憑依するわけですよ。
まちの空気感というか、そこらに漂っている「他人同士の親密な距離感を育むDNA」みたいなものが、場をつくることの手助けをする。

UNDOには、近所でラーメン屋さんをやっているお兄ちゃんなんかが用事もなく一服しにきたりとかする。そういうのは、本人たちは意識していないけれど「まちのDNA」みたいのがそうさせているんじゃないかとヒラクは思うわけよ。

川村さん、今後の盛り上がりに期待しているぜ!
追記:ところで僕の住んでいる中央線沿いにもコミュニティはあるけれど、これは外からやってきた馬の骨がつくりあげた「ヒッピー的コミューン」が超カジュアルに定着したカタチなのかもね。東エリアのような「江戸時代から自治してまっせ」的な感じは、まだない(あと1世代下ったら出てくるかもだけど)。

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