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一般解なんていりません。

今日もなんだかんだと用事が多い。
最近用事も移動も目一杯で少ないキャパシティを大回転させています。
なもんで、昨日のブログ気合を入れて書いたわりには記述が荒いぜ。
(いつも通りじゃんかという突っ込みもありそうですが)

ふむむむ、書くこと=考えることなので、書くものが荒いということは考えが荒いということ。で、仕事にも当然影響する、ということで余裕がないときほど丁寧に思考するようにしたいぞ。

さて。昨日は合同会社++のオープンオフィス終了後に、ヒラク姉とご飯を食べる。
ヒラク姉は、フリーキーな生き方を選んだ愚弟とは全く異なる「叩き上げキャリアウーマン」の像を120%体現する「働きマン」な女子。
高校卒業後、エネルギーがあり余ってそのまま保険ビジネスの世界に飛び込み、オッサン達のひしめく業界のなかでめきめきと頭角を現し、前職のボスと2人で保険の総合代理店を立ち上げ、フィナンシャルプランナーの資格までゲットしたという「デキるひと」なのですよ。

そんな姉が、バーのカウンターに座るなり、ため息混じりに「実はいま、人生の転機なんだけど…」と語り出したので、なんの騒ぎだと思ったら「想い人ができた」そうでした。

一応乙女のプライバシーがあるので、気になる「恋バナのディテール」はばさっと省きますが、レジュメすると「キャリア一直線、独立独歩」な今までの姿勢と「誰かと一緒に生き、家族と仕事のバランスを取る」姿勢の、二極のアンビバレンスに引き裂かれている、という状況なのですよ。
(ディテールは昼メロもびっくりな複雑な状況なんだけど、あえて要約)

で、お悩み解決の結論としては当然「仕事をとる」か、「愛をとるか」みたいな話になるわけなのですよ。
弟としては、「彼が好きならそっちを取って、仕事をやめるでもまあえーんじゃないの」とも思うし、「キャリアが大事なら、仕事がんばればええやん」とも思うので、要は「姉ちゃんの好きにしなっせ」とまあ、当たり前ですが考えます。
(今回の話でやや複雑なのが、「恋もキャリアも」の両方は取りづらい、というやや特殊な状況にあるところです。一応補足)

ところがですね、この当たり前の話が意外と難しい。

というのも、小倉家の両親は、「マルクス主義者→ウーマン・リヴ運動の初期メンバー」という、「自由意志・独立独歩」的スタンス120%の生き方をしてきたため、当然それに影響を受けた子どもたちは「文脈に身を委ねる・他人と持ちつ持たれつ」的スタンスを取ることに対しての、前回記事で書いたような「空気のような暗黙の否定」があるわけです。
(客観的に見れば大した話じゃないんだけどさ)

なもんで、ヒラク姉としてはその「自立して生きる」「価値のあるビジネス・パーソンになる」ということに注力を注いで社会人としての人格を(周りの友達が気後れするほど)ソリッドに形成していったわけなのですが、恋愛が思わぬところに転がって、そのキャリアに対して「待った」がかかった

さて、ここで本日の考察です(今回はきめ細かくいきたいぞ)。

人生の困難はしばしば「一般解を生きよう」と力むところから始まったりします。
「社会的な何かの達成を体現しようとする生きかた」と言い換えてもいいかもしれません。

姉ちゃんの場合は(たぶんですけど)、「キャリア女子」という「一般解」を体現するために頑張ってきた。
けれども、そこに他者との出会いや、自分の生来のフラジャイルな部分から来る「揺らぎ」に直面して、悩む。

「これは一般解を解く方程式には必要なのかしら」と。

こういう生きかたに関わる問題において、「個別解」と「一般解」の取り違いで起こるすれ違いって多いな、とヒラクは思うんですよ。

例えばAさんとBさんという2人の女性がいます。

Aさんが「私、もうこの人しかいない!っていう運命の人に出会ったの。だから、仕事をやめてその人がメキシコに転勤するのについていくことにする!」と言ったとして、Bさんが「あら、素敵な人に出会えてよかったじゃない」と返す。

Aさんの人生が「個別解」であれば、話はそれでおしまいです。
しかし、Bさんが「結婚相手とはいえ、他人の人生に自分の生き方が左右されるなんて『依存』よ!女は、キャリアを持って自分の意思を持って生きていくべきだわ!」と答えたとしたら、それは「一般解」の考えかた

逆のケースを考えてみましょう。

Bさんが「私、彼と別れた。だって『嫁が仕事してたら、会社で出世できないから仕事辞めろ』なんて平気で言うのよ!私、自分の仕事に誇り持ってるし。」と言ったとして、Aさんが「そうよね。B、やりがいある仕事があってよかったわね」と答えたら、これが「個別解」。

対して「そうやって、Bはいつも仕事を大事にしすぎてチャンスを逃がすのよ!女は、好きな人と添い遂げて生きるのが幸せなの!」と答えたとしたら、それは「一般解」の考えかた。
(ベタな物言いですいませんね。一応論点が明確になるようにニュアンスを削っているのよ)

Aさんの「好きな人と添い遂げるべし」スタンスと、Bさんの「自立して生きるべし」スタンス、僕は男子なのでどっちが「歴史的必然(おお、昨日の唯物史観の話だ)」なのか判断つきません。

というか、どちらの立場であっても「その正義を担保する後ろ盾」が正義を主張する当の本人の論理に帰着する。

つまり当人の利害関係に関わらない第三者(オトコは「デートしてえ」とか「ヒモになりてえ」とかの欲望において利害関係にダイレクトに関わるので除外。あとはワンちゃんとか観葉植物とか?)は「正義」を客観的に立証できないという「審判不在」の事態に陥るため、「堂々巡りの議論で仲が悪くなる」というあんまり朗らかではない事態になり得る。
(僕が「まあまあ」と話をとりなそうとしたら、怒られちゃうでしょ)

てなわけで(どんなわけで?)。
ヒラクは、「個別解を生きる」というありかたが好きです。

すべての人は、これぞれの「文脈」と、人生のなかで蓄積した「リソース」を持っている。
そこから導き出されるのは、その人個人にしっくりくる(けど他にはあんまし応用がきかない)「個別の答え」だと思います。
良いパートナーに出会ったらそれが宝だし、良い仕事があったらそれが宝だし、どっちもゲットできたら素晴らしいし、どっちもゲットできなかったら…(どうなんでしょうね。汗)、あるいは、全然別の素晴らしいものをゲットするかもしれないし。
(南の島で大自然と暮らす、とかさ)

まあ本人が納得いっていれば他人がとやかく言う必要はないかな、と思います。
世の中のどんな生きかたも「個別解」であると考えれば、お互いのスタンスを巡ってケンカしなくてもいいじゃん。
「出たよ、そういう『本人がいいんだったらいいんじゃないの?』理論。

「そういう適当な物言いが、支配主義的イデオロギーを無意識的に増長させるんじゃないの?」

「それはあなたが既得権益的なリソースを専有しているが故の『強者の論理』じゃないの?」

すすす、すいません(平謝り)。
でもでも、ちょっと聞いてよ。

「一般解を己が体現したい」って、実はそれはそれで「尊大な欲望」であると思うんですよね。
「世の女性(男性)のリーディング・モデルでありたい」あるいは「世の企業(自治体)のビジョナリーな先導モデルでありたい」とかね。

おそらく今世紀の下半期ちょっとぐらいまでは、女性の生き方に関わる領域では本当に「リーディングモデル=一般解」が必要とされていた時期があったのかもしれない。
だから、「私の歩んだ道を歩きなさい」というビジョナリーなカリスマの意味があったのかもしれない。
でもさ、今はけっこう色々出たと思うよ、素敵なモデル。

あとは、自分にとりあえず一番近そうなモデルをアレンジして、その人なりのぴったりした「個別解」をDJして「AさんもBさんも素敵」でよろしいのではないか、と思います。あるモデルに尖っている要素とかヘタレな要素とかをお好みの塩梅で足し引きして、「私はそれやんないけど、アンタらしくて良い」みたいな感じのケーススタディをそれぞれ実験していくもんだと思います。

一応「女性の生きかた」という括りで話してますけど、この「一般解を体現したい」欲望って、男にもなかなか根強く存在する。
「男の中の男」なんて言い回し、そうじゃん。
(ちなみに不思議なのが、居酒屋のカウンターで顔真っ赤にしてセクハラ発言を繰り出しているおっさんもある種の「一般解」なんだけどあんまりリスペクトされない)

「一般解を体現する」。
それは誰のものでもない人生に無理に自分を当てはめることかもしれないし、「一般解をつくる」ことに意気込んで、尊大なヤツになってしまうことかもしれない。

僕は「自分の範囲外の何かを代表する」みたいなことはあんまり好きじゃない。

そこを目的にするあまり、「自分の範囲内のものの責任」を背負って「僕は僕を代表します」ってちゃんと言えることをおろそかにしちゃうの、嫌だし。

僕は僕の納得いく生きかたができればいいし、合同会社++も、ビジネス勉強会のスライドに出てくる「先進事例」みたいなものを目指しているわけじゃない。ただ、しかるべき文脈で、しかるべきスタッフが、朗らかにやっていける環境を作りたいと思うだけなんです。

そんな感じで、姉ちゃんにも「世の女性を励ます生きかた」みたいなとこで頑張らなくてもいいじゃん、て思う。
姉ちゃんが幸せなら、ヘタレでもベタでも何でも良いよ、と弟は本当に思う。

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