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一生懸命に生きる誰もが「ちょっとヘン」。『逃げ恥』の爽やかな感動の理由を考えてみた。

テレビドラマの熱狂が終わったタイミングなのだが『逃げ恥』原作の最終9巻のことを書きたい。連載初期から楽しみに読んでいた漫画だったのだが、まさか最終巻でこんなにも深く感動するとは思わなかった(ドラマと違って地味な展開だし)。

感動の余韻に浸りながら、僕の心を激しく突き動かしたものは何だったのか、と考えていたら、わりとシンプルな理由に行き着いた。

僕たちは、一生懸命生きるほど「ちょっとヘン」になる。
なぜなら、ひとりひとりが願う幸せが「ちょっとづつ個性的」だからだ。

主人公であるみくり&平匡カップルも「偽装結婚」というよくわからない状況から愛を育み、ユリちゃんは50歳を過ぎて超年下のイケメンと人生初のベッドインを迎える。沼田さんもやっさんもそれぞれ「人生の標準レール」からちょっとづつ外れている。

しかし彼/彼女たちは別に「個性的な人生を歩みたい」と願っているわけではなく、自分なりの安心や楽しみや愛を掴もうとジタバタしたら「ちょっとヘン」になっていたのだ。

『逃げ恥』のキャラクターたちが教えてくれること。
それは、フツーの人生こそが「ちょっとヘン」ということだ。僕たちは生まれながらに他の人と違う個性や好みを持っている。「標準のレールに乗って生きる」ということは、その「自分らしさ」を矯正しながら生きることになりかねない。

みくりさんや平匡さんたちが「逃げる」のは、「自分らしさを矯正するレール」に乗ることからだ。悩みながら、友人やパートナーや家族とじっくり話をしながら、「ちょっとヘン」な自分の幸せを守るために一生懸命にあがく、その等身大の姿が共感を呼ぶ。

「ちょっとヘン」がたくさんあつまってできたのが、僕たちの住む社会だ。「ちょっとヘン」を全部足して、それを平均することで「ふつう」が割り出される。しかしその「ふつう」は実在しない。「ふつう」を平匡さん的に素因数分解するとたくさんの「ちょっとヘン」になる。

実在しない「ふつう」を追いかけても幸せにはなれない。

誰もが「ちょっとヘン」な世界。それぞれ違う幸せのカタチを守るため、人は友人や家族やコミュニティと助け合わなければいけない。それが僕たちの生きる社会のリアルなカタチなのではないかしら。

・「愛の皮をかぶったビジネス」と「ビジネスの靴下を履いた愛」。『逃げ恥』と『タラレバ娘』は人生というコインの裏表だ。

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