ここ最近は微生物の世界をより包括的に理解すべく、生物の進化や地球環境の歴史を勉強していました。そこで色々を考えたことをメモ。

ユニーク&しなやかであること

生物の歴史を見ていくと「強くあること」「多数を占めること」を目指すとわりとすぐ滅ぶようです。自分が強すぎると種の多様性が減って、それが環境の激変を招いてしまうから。

ではサバイブするためには何が大事かというとこれはもう「ユニークであること」「しなやかであること」の2つに尽きます。

安定期は「強いもの」の天下ですが変化期には「しなやかなもの」が生き延びやすい。
環境が激変するときはエサの供給が不安定になります。いっぱい食べることで強さを保っていた生物は環境の変化のなかで飢え死にしやすい。代わりに他の誰も食べないものをエサにしていた小さくてすばしっこいヤツが変化に耐えることができます。

「強い多数派は絶滅する」というセオリーの理由は①生態系自体を生物がつくっている ②ある生物のウンチを他の生物がエサとして食べる、の2つ。他の生物がいなくなると生態系が成り立たなくなり、かつエサがなくなる。だから他の生物を制圧しすぎる種は自分の強さで滅ぶ。
その典型が恐竜のような「強い個体」だったんですね(絶滅の引き金は隕石でしたが)。

ただ詳細に見ていくと「新環境に適応する」というイノベーションだけがサバイブする道ではないのも面白いところ。

あえて時代の波に乗らず古風なライフスタイルを貫くことで時代の荒波を超えるというやり手もいます。僕たちに身近なパン酵母はその一派だったりします。のるかそるか、中途半端だと淘汰される。恐竜が消えた白亜紀の大絶滅では、意外なことにヘビやワニなどの爬虫類はしっかりサバイブしていたようです。恐竜は爬虫類よりも進化した恒温動物(自分の体内で熱を発する)でしたが、それゆえにエサが大量に必要で進化が逆にアダになった。ワニやヘビは自分の体温をコントロールできないかわりに省エネだったので生き延びた。

イノベーションの最先端を走るのと、あえてその波を無視してわがみちを行くのとどちらも「ユニークであること」は変わらない。サバイバルには強さはあんまり関係ない。他の存在との差異と、環境の変化に対して「選択する」というしなやかさを持っているかどうかが明暗を分ける。生物界スゴい…!

「レバレッジをかけない」というサバイバル戦略

進化した種ほど他の生物に依存して生きているのですが、生物がほとんどいない超太古の環境で生存していた種は生物の多様性がなくてもサバイブできます。

その代表例が藻の祖先であるシアノバクテリアで、太陽光と二酸化炭素があればゼロから有機物をつくれる。こいつは20億年以上前から一貫して生態系における多数派です(人間の常在菌でもある)。

鉄とか硫黄を食べて生きる細菌類や、太陽光で生きる藻類は他の生物を食べて栄養を摂取する「有機物パラダイム」で生きている現在のマジョリティ種よりもしぶとい。
ビジネスモデルでいうと「昔から愛される街場の大衆食堂」みたいにレバレッジゼロだけど盤石!という強み。有機物食べて呼吸する種はレバレッジかけまくりのIT業に似てると言えそうです。
人間のような進化を辿った種は、複雑な食物連鎖による有機物の循環が前提になって生きています。これは複雑なロジスティクスやエネルギーインフラが前提になったITビジネスの仕組みのようなもの。古細菌や藻は自給自足の農家の直売所みたいな複雑な前提がいらないモデルで生きている。

「他の存在がつくってくれるインフラ」をレバレッジにして生まれる強さは、その成り立ち自体に脆弱性をはらんでいます。あまりにレバレッジをかけすぎると、他の存在が滅んでしまうので強さを担保する前提条件が崩れてしまう。

つまり「強さ」とは強い個体の「内側」ではなく個体を取り巻く環境という「外側」に存在している。進化している/していない、強い/弱いのどちらかが大事なのではなくて、進化しているのとしていないのがなるべくたくさんのレイヤーで棲み分けしている状態が「生命がサバイブするための多様性」で、これを保証するのが「ユニークさ」と「しなやかさ」であるということなんですね。

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