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ホメオパシーの情報理論。

こんにちは、ヒラクです。
ちょっと前のことになりますが、エルマー・ヴァインマイヤーさんのところへホメオパシーのお話を聞きにいってきました。
(かぐれの敦子さん、紹介ありがとう!)

去年、ヨーロッパ旅行から帰ってきたあとに突然再発した喘息。
その症状を劇的に緩和したのがホメオパシーの代表的な治療法である、レメディという砂糖玉でした(詳しくは、この記事を参照)。

物理的には単なる砂糖玉を舐めるだけで、なぜ喘息の症状が収まったのか。

その謎を知りたくて、エルマーさんのところを訪ねたわけですが、いや〜、面白かった!
なんとなく、「情報がキーなのでは?」と思っていたら、正に。

レメディとはなんぞ?

まず最初に、「レメディとは何か?」から説明しますね。
ホメオパシーの原理は、「毒を持って毒を制す」の考えかたで、喘息に悩んでいるひとがいたら、喘息的な症状を引き起こす植物や鉱物のエッセンスを超微量与える。

そうすると、自己治癒力が働いて症状が緩和されていく、という考えかたです。

これは、僕がかつて学んでいた漢方にも採用されていて、猛毒のトリカブトを煎じて薬にしたりする処方があるので、あながち「トンデモ」な発想ではない。

で。
レメディとは、そのエッセンスを何度も何度もアルコールで希釈して、物質性が消滅するまで薄め続けたものを砂糖玉にポトリと落としたものなのです。
物質性(つまり分子)が存在しているかどうかのボーダーは、C20という単位。C20は1/100に薄める行為を20回繰り返すことを意味しています。つまり、1/100の20乗ですから、気が遠くなるほど小さな数値です。

この数値に達すると、科学的にはもはや「エッセンスとなる植物や物質が残っていない」状態になっている。
(ちなみにC20よりもさらに希釈度の高いレメディも多数あります。すごいね)

さて。ここからががレメディ(ホメオパシー)の面白いところです。

レメディは、薄めるほど力が強くなっていく(これをポテンシーといいます)。
つまり、物質性が消えれば消えるほど、薬としての力が強くなる。
(あくまでホメオパシー的な意味での強さですが)

カルピスを水で割れば割るほど味が濃くなる、あるいは、泡盛を割れば割るほど酔っ払う、みたいな状況が起きてくるわけです。
ちなみにこの発想は、臨床的な経験則から来ているらしく、お医者さんとしても「なんでそうなるかよくわからんが、どうやらそうなる」ということだそう。
(でも、医学って意外にそういうもんだったりするらしい。漢方もそうだった)

情報指示のみを取り出す方法論。

さて。
これがレメディの概要なわけですが、今回のエルマーさんのお話は「なぜ薄めると強くなるのか」でした。

結論からいうと、「情報の力が浮き上がってくる」という感じなんですよね(ヒラク的な表現ですが)。

では実例をもとに考えて行きましょう。
例えば、ヒラクが手を火傷したとする。
いまだ科学では充分にトレースされていないようなのですが、僕たちの身体のなかでは、ある怪我や症状が発生したときに、どこか(脳や中枢器官であるかは不明)から、「おや、右手で火事が起きているぞ。至急消火すべし」と指示が出て、右手の損傷箇部において、修復工事がはじまり、細胞がしかるべく再生していきます。

これはつまり、ある物理的な現象に対して、身体の「どのパーツが」、「どんなふうに」、「どれぐらいの塩梅で」アクションをするかという「情報指示」が出るということです。

で、火傷をしたら普通はどうするか。
冷やしますよね。
冷やすと痛みが緩和するんですが、「情報回路」の観点でいうと、「あれ?さっき火事だったけど、今度は吹雪かも。」という風に、情報の混乱が起こる。

そこで、トップ下が2人並んでしまって指示系統が混乱し、せっかくのスター選手の力が活かせないサッカーチームのような状況が起こるそうです(わかりにくい例えですいません。僕の趣味なの)。

では、ホメオパシー的な発想でいえばどうするか。

火傷した手に、お酢やブランデー等を塗って、「火傷に似た微量の痛み」をもう一度与えるそうです。
そうすると何かが起こるかというと、「情報指示が強化される」ということが起こる。
つまり、「おっ、またボヤが起こったか?消火部隊を増員せよ!」となるわけですね。で、これが結果的に「自己治癒力の発揮」という風になっていく。

これがホメオパシーの基本的な発想です。
で、レメディという砂糖玉は、そこからさらに「痛みそのもの=物質性」をなくし、「痛みがもたらす情報指示」のみを取り出すというアクロバット的な方法論なわけです(たぶん)。

情報の強弱を見極めるのが大事

では次のお話。

レメディ等を処方するお医者さん(ホメオパス)は、何をしているのかというと、的確な「情報の種類と強度」を分析し、それに見合ったレメディ(ではない場合もあるけど)をクライアントに処方する、ということになります。
そのために、症状や持病はもちろん、その人の歩んできた歴史とか人生観なんかをこと細かくヒアリングしていくわけです。

まず理解しやすいのは、「情報の種類」ですよね。

咳がゴホゴホで死にそうになっていたら「ああ、喘息だな」と思うわけです。だから「喘息のレメディ」に見当をつける。
で、エルマーさんの話を聞いてわかったのが「情報の強度」を分析するのが大事であるということ。

先ほどの「ポテンシー(レメディの力の強さ)」を思い出してください。
希釈度が高くなるほど「情報指示力」が純化されていくのですが、ポテンシーの強すぎる砂糖玉は、もしかしたら「効かない」かもしれないのです。

(ここからホメオパシーにおいての「強さとはなにか」の話になります。難しいよ。)

「自己治癒力が活発にはたらいている身体」とは、ヒラク的には「情報感度が高い身体」と言い換えることができます。
つまり、「火事だ」と言ったら「火事とケンカは江戸の花」とばかりに火消しがすっ飛んでいき、「吹雪だ」と言ったらブランデーの樽を首に下げたでっかいアルプスの救助犬が即刻派遣される、みたいな身体です。

対して、ホメオパシーの治療の対象となる「自己治癒力がじゅうぶん働いていない身体」とは、オオカミ少年にうんざりした村の衆みたいな感じです。「火事ね、はいはい」、「吹雪?嘘つけ」みたいな(極端な言い方ですが)。

ケースによっては、自己治癒力がうまく働いていない人には、「ポテンシーのそんなに高くないレメディ」を処方するときもあるそう。
だから、喘息や胃痛の応急処置をする、通販や店頭で買えるレメディはそんなにポテンシーが高くない。

それはなぜかというと、あまりにも情報の純度が高すぎると、「反応できずにスルー」みたいなことが起こってしまうそうです。

情報における強度は、物質とは反比例する

ここで、「物質性における強度」とは正反対の発想が生まれてきます。

物質においては、マスが増大すればするほど作用が強くなっていく。
(銀杏をいちどに1000個食べると死ぬ、なんて言うし)
だから、「食いしん坊」とか「大酒飲み」みたいな状態が、物質的な意味での「強度がある」状態になるわけです。

対して、情報においては「どんな小さなつぶやきでも聴き取れる」みたいなことが「強度がある」状態になっていく。
誰もいない聖堂に残響していた交響楽を聴きとり、宗教的な悟りを愉悦を得る、みたいな人が「感度がいい」ことになり、その幻の交響楽は、どんなレベルの高いオーケストラが演奏するものより印象が鮮やかで「快楽度」が高い。

人によってその情報感度のセンサーはまちまちなので、その都度きちんと見極めることが必要になる。

本当に自己治癒力が激しく低下しているクライアントには、あえて「物質性が残っているレメディ」を処方することもあるそうです。
(火傷にブランデーを塗る、みたいな方法論に近づく)

そういうふうにある程度の物質性とセットにしないと情報をキャッチしてもらえないということもありえる。
(あくまでヒラクの私見ですが)

だから、お医者さん(ホメオパス)とおこなう治療は、時間をかけて「情報の強度」を鍛えていくというプロセスをたどることになります。

それは、ボサノヴァの神様であるジョアン・ジルベルトが、理想の音楽を追求するうちにどんどん「声が小さくなっていった」事実に似ている。
(最後はほとんどただの呟きに達してしまった)
隣の部屋に人を立たせて、「どう?今の声聴こえた?」みたいなことを延々繰り返して、「かろうじて聴こえる最小音」を追い求める。
それは「幻の交響楽」を現実に再現しようとするように「感じられないはずのものを、感じようとする」というトレーニングであると言えます。

ホメオパシーの極意は、そうやって「ジョアン・ジルベルトの歌が聴こえる」みたいな感度を、身体のなかで再生していくプロセスなのですよ。
その中で「物質性に対しての情報性」の意味が浮上し、「強度」の定義が反転していく。

症状を消すのではなく、むしろどんな小さな症状であっても「オッケー、聴こえたよ」というところまで感度を訓練し、常に火消しべらんめえ、ブランデー犬ウロウロ、みたいな状態まで持っていく。
そうすると、常時きめ細かく「消火活動」や「救助活動」が行われることになるので、破局的な事態を未然に防げることになる。
その結果、長年苦しんでいた習慣病や重大な症状に対しての抵抗力がついていく。

そのとき、人は病を「克服」するのではなく、うまく「肯定」できるようになる、ということなんでしょうね
うむむ、奥が深いぜ。ホメオパシー。

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