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ブラック・スワンを見ました。

先日ダーレン・アロノフスキー監督の「ブラック・スワン」を見に行きました。

見終わってから、今から10年ほど前に、デビュー作のモノクロ映画「π」も見ていたことを思い出したんですけど、配役や技術が豪華になっても、この監督、本質はデビュー作から変わってないと思いました。

ブラック・スワン、ハリウッド一流の技術を使ったカルト・ムービーと言えるでしょう。

この映画の特徴は、とにかく「カメラワーク」、「音の作り込み」、そしてナタリー・ポートマンの「メイク」という技術の細部にあるかな、とヒラクは思いました。

まずカメラワークですが、バレエのシーンを撮る場合、カメラを引いて動き全体を見せるのが普通ですが、この映画ではダンサーの動きと同じ動きでカメラが回っています。
つまり、F1の中継でいうと、車が走っているシーンを撮るのではなく、車内カメラから見るフロントからの風景を撮るような方法論で、ダンスを動きを表現しています。
これはとても面白い考え方で、F1の本質である「速さ」を表現するには、車の動きではなく、レーサーの動体視力を映像にしたほうがずっとよく表現できます。
なので、バレエの「回転する」、「跳ぶ」という運動を表現するには、全体を捉えるのではなく、ダンサーが見ている風景を視覚にしてほうが臨場感が出ます。

で、「音の作り込み」です。

映画館のサウンドシステムはずいぶん進化していて、イヤホンのような左右の「ステレオ」ではなくて、左右に加えて上下、さらには奥行きなど、「音が作る空間」を表現できます。
この映画はそれを利用して、どこか遠くで鳴った不穏な音や、不意に肩を叩かれた時の、すぐ近くで鳴る小さな音をものすごく強調して鳴らします。

これによって、まるでスクリーンの中に入ってしまっているような没入観を演出しています。

まあ、最近のハリウッド映画はこの演出が好きなんですが、この映画の場合は、SFやアクションではない、日常的な空間が舞台になっているので、シューズが床を叩く音や、心理的に不安になっているときになる些細な音にこの効果を巧みに使って、なにげないはずのシーンを印象深いものに変えています。

と、ここまではある程度映画が好きな人だとすぐわかることなので、「わかってるよそんなこと」と言う人も多いかもしれません。ので、あまり気づかないであろうポイントを一つ解説します。

それは、主演のナタリー・ポートマンの「メイク」の細かさです。
目のふちを黒く塗る「ブラック・スワンメイク」に目がいきますが、実は舞台上以外のシーンでも、相当に細かくメイクを使い分けています。細かくシーンを割ってみていくとわかるのですが、序盤から終わりを通してみると、すっぴん状態の顔でも、メイクの趣向がずいぶん変わっていることに気づくはずです。

細かい肌の肌理の感じや、目の縁のニュアンス、唇の光沢や頬の色などを調整しながら、「可愛いけれど内気で地味な女の子」から、「狂っているけれど、強い性的魅力を感じる女性」への変化をメイクで細かく表現しているんですね。専門家じゃないからわからないのですが、相当数のパターンのメイクアレンジを用意して撮影にのぞんだな、という印象がありました。

で、こういう技術的な手法を何のためにやっているのかを考えてみると、ブラック・スワンは「理屈でなく、感覚でストーリーを語ろうとする」映画であることに気づきます。

物音や、風景の移り変わりや、顔色のニュアンスで映画を組み立てているんですね。
話を変えると、これって音楽の話にもあてはまるんだと思います。

例えば、よくあるJ-popを聴くときと、テクノを聴くとき。
前者の場合は、メロディやコード進行、歌詞にフォーカスして「いいね!」となるのですが、ずーっと同じコード進行とリズムを繰り返し、歌もメロディもないテクノの場合だと、フォーカスされるのは音の「強弱」や「鳴り方」、反復しているようで微妙に変わっていく細かな差異などの耳が集中していきます。

要は、同じ音楽を聴いているのにフォーカスするポイントが全然違うんですね。

で、ブラック・スワンはテクノなんですよ。
ひたすら映像に没入して感覚を研ぎすませる、テクノのような映画なのです。
「見終わったらずいぶん疲れた」というような感覚は、つまり身体的な感覚をずいぶん使ったからなのです。

サスペンス的なストーリー展開は実は脇役で、本質はその「生理に訴えてくる細かい技術の積み重ね」なんだとヒラクは受け取りました。

というわけで、僕はこの映画をクラブに行って大音響のテクノを聴くように鑑賞しました。
興味のある方はぜひ。

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