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デザインと同じく生物学もデータサイエンス化する。そして逆説的にアートの価値が再浮上する、かも。

ちょっと前のおはなし。
山形県鶴岡市にある慶応大学の先端生命科学研究所を訪ねた時のこと。所長の富田勝さんにラボの施設を案内してもらいながら、最近のバイオテクノロジー研究最先端の舞台裏を解説してもらった。

微生物やウイルス、DNAは小さすぎて目に見えない。
なので、例えばそれを見えるようにするには何万倍・何億倍にも分離増殖させる必要があった。生物の実験の、ペトリ皿(シャーレ)に寒天を入れてカビや酵母のコロニーをつくる実習を思い出してほしい。あんなヤツね。

しかし実は自然界を見回してみると、シャーレのなかで培養できる微生物や細胞はそんなに多くない。そこで、最近は例えば水の一滴、土の一片のなかにあるDNAを全部シャッフルして、そこからどんな生命や遺伝子があるのかを解析するという方法が取られるようになる。

技術の進歩がこのオペレーションを可能にしたわけだが、ヒラクが思うにこの方法論の変化は、人間の知性のあり方に影響を及ぼすものではないかと。

それはどんな影響なのかというと、人間の高度な知性だとされてきた「仮説を立てる」という行為の意味が変わってくる、ということだ。

もうちょい考えてみよう。
昔は、目に見えないモノを取り出して解析するためには「当たりをつける」必要があった。「あのヘンに目的の生き物や細胞がありそう」と見当をつけ、その後そいつを隔離するためのロジックと操作方法を考える。
で、結果うまく目的のミクロ物体が取り出せれば仮説が当たったことになる。

翻って現代はどうかというと「まずまるっと全部取り出す」のだね(ちょっと極端な言い方だけど)。で、取り出されたもの全部を解析してデータベース化する。
そのデータベースを読みながら、「なるほど、ここにはこういう生命が存在しているわけね」と事後的に気づくことになる。

これはつまり「グーグルアナリティクスによるアクセス解析からWEBデザインを最適化する」というオペレーションによく似ている。かつてのデザインが、デザイナー個人の経験則とインスピレーションによって構築するものだったのが、データベースの傾向を解釈することによって帰納的にデザインが導き出されるようになった。

WEBにおけるデザインがデータサイエンスになったのと同様に、生物学もデータサイエンスになりつつある。

で。次の段階で何が起きるか。
データベースの蓄積精度がある臨界点を突破すると、もはや人間ではそのデータベースを読むことすらできなくなるということだ(量が多すぎて)。
すると、人工知能がデータベースを読んで「解釈する」ことになるかもしれない。

バイオテクノロジーに明るくない人は、WEBデザインに例えてみると良さそう。

制作担当「これが現状の御社のサイトの解析レポートです」
クライアント「ほうほう。で、これは何を意味しているのかね?」
制作担当「弊社の人工知能の解釈によると、TOP画像はワンちゃんがベストだと」
クライアント「えっ?我が社のメイン事業がキャットフードだと知って言っているのかね?」
制作担当「」

自然科学というものが生まれてからずっと、人間の観察力には物理的限界があった。
地球が太陽の周りを回っていることを実際に見ることができないから、星の運行という「限定されたデータ」から、たぶん太陽じゃなくて地球のほうが動いているという「仮説」、つまり演繹的な想像力を使って情報の不足を補ってきた。

現代で起こりつつあるのは、「観察・データ蓄積技術のハンパない超発達」だ。
これが臨界点を突破すると、情報の不足が起こらなくなってくるので、演繹法の重要性が低下する。

したがって人間のインスピレーションやイマジネーションの価値の再定義が必要になる。
中途半端な想像力は陳腐化し、同時にデータ解析もアルゴリズムが担うようになる。のでアートの領域にあるような強度のイマジネーションが「人間固有もの」としてフォーカスされるのかもしれない。

何にせよ、スゴい時代になったもんだ。

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