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シズル感の呪縛。

こんにちは、ヒラクです。
今週末は選挙ですね。今回は比較的投票率の低い僕たちの世代でも、あれやこれやと意見が飛び交っています(それはいいことだ)。
で。新聞を読みがてら、「誰に投票したら良かろうか…」と都知事選の候補者のPRなんぞを読むわけなのですが、そこで気づいたことがあったんですね。
それは、「まともな意見を言う人は、あんまり『政治家』に見えない」と無意識に思う認知パターンが、自分のなかにインプリンティングされていた、という恐ろしい事実です。
何が「まともか」という話になると非常に話がややこしくなるので、ここでは具体的な候補者名とか政策には言及しないことにします。そのうえで「まとも」というのを(ヒラクなりにですが)定義しますと、「極端なことを言い出さず、ごくささやかな(超金持ちとかじゃない)市民感覚に沿ってものを言う」ということになろうかと思います。
…と言ってもイメージがわかないので、逆の「まともじゃない」と感じるパターンを考えてみましょう。それはざっくり言えば「どう考えてもムリでしょ」的な考えだと思うんですね。例えば「それはどう考えても既得権益を持っているおっさんしか得しないでしょ」とか「いやいや、もう高度経済成長とか起きないから」とか「それやったら外交政策が明らかに崩壊するだろ」みたいな「エクストリーム感」。これがPRの要項に見当たらないと「まとも」っぽく感じる、ととりあえず定義させてください。
でね。紙面を一巡してみると、「まともなこと言ってる人」って、一人か二人しかいない(都知事選の場合)。だから、ささやかな日常の幸せを望むヒラクとしては「その人に投票しようか」ということになる。なんだけど同時に、「この人、政治家っぽくないなぁ(だから投票してもしょうがないんじゃないか)」と無意識に思ってしまったんですよ。
これは衝撃的な発見でした。つまり、「まともだと政治家じゃないから、たぶんその人は当選しない」というヘンなロジックを自分の中で許してしまっているんです。そのヘンなロジックについての突っ込みは当然、「じゃあ入れんなよ」ということになる。結果、僕が取るであろう結果は2つ。「当選しないんだけどね…」といいながら投票する。あるいは「投票にいかない」です。良いか悪いかは別として(僕こればっかだな)、なぜ自分のなかで「こういう現象が起こってしまったか」ということを分解してみますね。
デザイナーという職業柄、僕はいつも「シズル感」というものを大事にします。
シズル感とは何か。それは平たくいうと「それっぽく見える感」のことで、ヒラク的に言い換えると「無意識領域に『それはそれである』と認知させるためのパターン構造」です(うーん、ややこしいのでアップデートの余地ありですね)。
具体的には「CMに出てくる美味しそうなビールは、だいたい汗をかいている」とか「緑の棒人間を見ると、非常口だと思う」とか、「カエラちゃんと同じ髪型で体系で服装だと、無条件に美人だと思う」みたいな感じです。この「シズル感」は、無意識の認知に働きかけるので、言語領域よりは、ビジュアルや音や匂いなんかがキーファクターになることが多い。
では、その認知構造を応用して、今回のテーマである「まともな政治家には票が入らない(入っても消極的)」という現象を見ていきます。
ヒラクの仮説としては、戦後の何十年かをかけて政治家の「アーキタイプ」みたいなものが確立し、その外見や、言動や、所作などが集積した結果「政治家というシズル」が出来上がったのではないか、と思うんですね。つまり、「肝臓壊してそうで、血圧高そうで、目が濁っていて、不機嫌そうで、何言ってるか全然わかんない or 異常に単純なロジックをひたすらリピートする」みたいなひと(主におっさん)を見ると非常口の人を見るみたいに「おっ、政治家の人」みたいな感じの認知構造が超高速で立ち上がる。それは、五感を通して伝わるために「理屈より断然速い」わけです。
そして、「ビートルズ」に対する「キング・クリムゾン」みたいなオルタナティブとして(うおォン、すごい例えだ)、「妙に血色が良くて、異常に目がキラキラ輝いていて、素面にはとても見えないほど機嫌が良くて、トンデモ発言を堂々と披露する」みたいな人(主に芸能人or宗教家ベース)も、「トンデモ政治家というシズル」が発動する。
そんななか、「顔色も普通、眼差しも普通、機嫌もニュートラル、言ってることもごくまとも」な、「近所の文房具屋」とか「低農薬で頑張っている農家」みたいなひとに関しては「政治家というシズル」がさっぱり立ち上がらない。
それはつまり「党派性を感じない」ということになるわけです。そういう人を見て、僕は無意識にこう思ってしまった。「ああ、この文房具屋の主人は、あまりの日本の政治のふがいなさに、娘息子の教育費で貯めた貯金を切り崩し、止むに止まれず立候補したのだな。感心感心(でも、政治家じゃないんでしょ)」。
なんてことだ。今書いてわかった。これが「まともな人は政治家であるはずがないから、文房具屋(農家)で頑張ってほしい」と無意識に思ってしまうスキームだったわけか。みなさまの中にも心当たりありませんか?「この人当選しないだろうな」と思って投票に行く、あるいは「この人、まともすぎるからもう少し脂ぎった人に投票しといたほうが国/都政には良いのではなかろうか」と思って本意とは別の人に投票してしまった経験。それは、もしかしたら「シズル感を感じないものは、それをそれとして認知できない」という現象かもしれませんよ(ストーブの前で暖まったマイセン陶器に注がれたビールを冷めたジャスミンティーと認知したり、紫色の非常口の人のせいで火事から逃げ遅れるとか)。
さて、上記のヒラク理論を「お前こそトンデモだろ」と思わないそこのアナタと考えたいことがあります。
それは、「シズルのありかを突き止め、認知パターンを己の意識変革によって改造する」ということです。戦後の歴史で刻まれた「脂ぎっていて、よくわからん、極端な傾向のあるひと」こそが政治家であると刷り込まれてきた認知パターンを改め、「文房具屋の主人(低農薬で頑張ってる農家)こそが政治を変えるかもよ!」と信念を持ち、都政の場合では特に「党派ではなく、言ってることのまともさで見る」みたいな鑑識眼を備えることで、「シズル感の呪縛」から解き放たれ、心おきなく前向きに朗らかに「まともな人に一票入れます!」と言えることでしょう。
腐っていたのは政治ではなく、己の認知パターンだったのです(腐っていない政治をちゃんと選べる可能性があったのだから)。僕は僕の認知パターンを今回の選挙をきっかけにアップデートするぞ。
「まともな考えが政治を変える。よって僕の投票により政治は変わる」という強い信念をもって選挙に行こうと思うのでした。よろしく!!

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