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イメージすること、それが現実の臨界点。

こんばんは、ヒラクです。大変ご無沙汰しておりました。
facebook等でもアップしていましたが、合同会社++の立ち上げに関わる諸々で奔走していまして、法人立ち上げって大変なんだなと実感した一ヶ月でした。

さて。
今夜お話したいことは、「イメージすること」と、「具現化する=現実とする」こととの関係性です。

最近、20歳前後の表現活動を志す子たちと話す機会がありまして、「どうしたら良い表現ができるか」ということをよく考えます。で、ヒラクの考える論点はこんな感じなんですね。

例えば、料理をすることがとても良い例えになります。
自分がおいしい料理を作ろうと思ったら、その「おいしさ」の基準は、いままで食べた最もおいしいものになります。そのおいしさを目指してあれこれ趣向を凝らすわけです。それって逆を言うと、「今まで食べた最もおいしいものが、自分の表現の限界になる」っていくことなんですよね。

てなわけで、良い表現をするためには〜という問答になったときに「どんなスキルを身につければ」という話はちょっと早計だと思うんです。
まず考えるべきは、「今まで自分が最も感動したものはどんなもなのか」、「その感動はどれだけの深さだったのか」ということだと思うんですね。

そこを良く見つめてみると、自分の現時点での臨界点が見えてきます。

自分がどんなことを表現できるか、イメージできるかは、自分が今までにどんなことに出会って、感動してきたか、ということにつきます。
スキルは二の次です。その感動に常に立ち返ってみること、それが大事だと思います。

…と、そういう類の話はアートやデザインの現場で良く話されることだと思うので、今度はビジネスや何かしらの社会活動において、この話の意義を見ていくとどうなるのでしょうか。

「表現」という領域でいうと、目的は自分の認識を高めていくこと、自分の限界を超えていくことに主眼が置かれます。
対して、社会的な活動でいうと、自分の外環境を形成する「社会/現実を変えていくこと」が主眼に置かれることが多いかと思います。

では、それを成し遂げるための原動力とは何なのだろうか、と考えてみましょう。

それは「自分のイメージすること=表現すること」になるんですね。ここ数年色々なプロジェクトに関わってわかってきた方程式は、

現実<自分のイメージ

なんですよ。ちょっと誤解がないようにように補足すると、「自分のイメージすることは全て実現できる」ということではなくて、自分が「どれだけ現実を動かすのか」という「どれだけ」は、原則自分のイメージ力に依存する、ということなんですね。

それを別の言い方でいうと、この記事のタイトル「イメージすること、それが現実の臨界点」ということになるわけです。

「現実を変えたい」と思ったら、「何がおかしいか」を批判することの先にある「どんな風に変わるのか」というイメージのスケールと解像度をひたすら上げていく、そういうある種「自分との戦い」という風になっていきます。
それは、アートやデザインの領域において「自分の表現を突き詰める」ということに非常に類似していて、同時に入れ子状になっています。

…で、ヒラクは何が言いたいんだ!ということなんですが。

全ては僕たち1人ひとりが、「何と出会ってきたのか」に基づいて、「何をどういう風にイメージするのか」を突き詰め、そのイメージを具現化するために行動する過程で「現実が変わっていく」プロセスしかないんだということです。
その「自分」という存在とコミットすることでなぜか色んな人と出会い、共同作業が始まり、創発が始まっていくんです。

他者や社会ありきではなくて、自分が感じてきたことを起点に伝えたいことを組み立てていく、それを伝える過程で他者や社会とのコミュニケーションが始まっていく。
それは芸術というものの真骨頂なのですが、社会にコミットしていく活動においても、その考え方がこんなにも有効なことはないなと最近思っています。

壁を打ち破った瞬間、かつてない感動や衝撃を受け止めた瞬間、自分のなかで何かが変わった瞬間、すでに現実は変わり始めている。
なぜなら、その感動を再現するために、あなたはものすごい情熱を持って動き出し、その情熱に触れた誰かが、またその感動や衝撃をもとに動きだし、そのまた誰かが……

の連鎖の果てに「現実」が生成されていくのですから。

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