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アウトプットからアウトプットが生まれる。

皆様ご覧のとおり、最近このブログ毎日更新になってきました。

ヒマというわけではなくて、いつも通りあれこれ用事があるのですが、何が変わったかというと「毎日書くための方法論」がわかってきた。それはこないだの記事でお話したように「自分の中にルールを設けない」、「WEBライティングの定石を無視する」等の「とことん自分を甘やかす」というやりかたなのですが、実はもう一個大事なことに気づきました。それがタイトルの「アウトプットからアウトプットが生まれる」なのですよ(カンの良い方はおわかりですね。ブルーノ・ムナーリのオマージュです)。

それで、そいつはどんな現象なのかというと、「いま自分が生成している文章なりグラフィックなりが使者となって、また新しい発想や概念に導かれる」という状態です。最近この感覚がわかってきました。

文章を例に取ってみましょう。
何かテキストを書く。そのときは日本語とか英語とか中国語とか、何かしらの「既存の言語」を使います。で、すでに体系化されたことばを組み合わせて、文章を作っています。

この時に実は2つの全然違う位相の現象が同時に僕の脳みそのなかで起こるのです。1つは「自分が考えていること、伝えようと思うこと」。つまり「自分に関すること」、そしてもう2つ目が、「ことばの中にすでに埋め込まれたイメージとか概念」、つまり「自分に所属しないもの」の2つが微妙な化学反応を起こしている。

例えば「自分にとって、愛とはなにか」をテキストにしようとする。
そして原稿用紙なりブログの更新画面に「愛」と打ち込んだところで、「不倫の愛」とか、「プラトニックな愛」とか、「フェティッシュな愛」とか、「愛」にまつわる色んな情報とかイメージが立ち上がってくる。そういう色んな愛の概念に囲まれたうえで、「さて、じゃあ僕の愛ってなんじゃろな…」ということを自覚し、そこから「ああ、そういえば不倫をこじらせて熱海に逃げたいとかいうことを語るあの人は、いったい何を考えているんだろう」とか、1年会っていないある人のことをふっと思い出したりする。そして、その人のことを思い浮かべながらテキストを書き進めると、話が思いもよらない方向にいったりする。

これが「アウトプットからアウトプットが生まれている」状態です。

ことばに内蔵されている様々意味を介して、自分以外の何かと対話している状態になる。そうすると、居酒屋のカウンターでとめどなくおしゃべりをするように、たくさんの事を発見したりする。結果書き終わったあと「こんなこと書くはずじゃなかったんだけど」みたいなことがかなりの確率で起こる。
(ちなみに今はまだ言語化できないけど、デザイン作業でも同じような現象が起こります。恐らくことばとはまた違う次元でイメージ連鎖が起こっているのでしょう)

こういう現象を「まいっか」とする心持ちが肝要なんですね。1つのことば、1つのイメージを生成するたびに変容する自分に「OKよ」と言い続ける。ずれ続けることを許容すると、とんでもないほど自分のアウトプット力が高まっていきます。

「ことば」というのは、自分の「意思を伝える箱である」。この命題、たぶん50%は正解です。
あと50%は、「その箱には、いろんなものが書かれたり、彫られたり、ぜんぜん空っぽじゃなかったり、場合によっては箱のなかに箱が入ってたりするよ」てなことなんですよね。

考えてみれば、僕は東京で生まれて、小さい頃から本とか映画とか音楽とかを大量に浴びて育ち、色んな友達と遊んで、旅もいっぱいしているのだから、意識していないだけでものすごいインプットが自分のなかに眠っている(はず)。なので、おそらくはまだアウトプットのキャパシティを活かしきっていない、そんな感覚があります。

しばらくどこまでできるかやってみよう。そこの奇特なあなた、よろしければお付き合いしてね。

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