BLOG

やっぱり阿弥衆が気になる。

出張先の宮城で原研哉さんの「日本のデザイン」を読む。
ここでもまた「阿弥衆(同朋衆)」の話が出てきた。そうなんですよね。やっぱりデザインなんぞやってると、絶対にここが一つのマイルストーンとして見えてくる。
原研哉さんの見る「同胞衆」は、歌舞や語りではなくて、庭造りや茶道などのディレクター達。「唐様(中国スタイル)」を打ち破り、和的な「侘び寂び」な美意識をつくりだした、現代でいうところの「アートディレクター」あるいは「キュレーター」と呼ばれる職能の先駆者です。
何度も書いていることだけど、「行き詰まり感」が漂う時代のときは、想像力をなるべく「遠くまで」飛ばしたほうがいい。
それは距離もあるけれど(他の国のこととかね)、僕の場合は時間をなるべく遠くまで飛ばす。「地営業」のコンセプトでは、400年単位で過去を未来を考えるようにしています。
で。今ヒラク的に気になるのが、戦前→明治維新→江戸時代をさらにさかのぼった「中世」なのですよ。武士と貴族の時代が終わり、南北王朝が並列してカオスが発生し、戦国の世に雪崩売っていく時代に「リノベーション的なもの」が起きたと見る。経済も文化も政治も律法も、この時かなりラディカルに「日本的なモード」が確立したのではないか、と考えます。
そして僕の大きな関心が「いかにして独自のモードが生まれたのか」という所なんですね。なぜかはまだよくわからないけれど「日本的なモードの揺籃期」そしてその次代に活躍したアートディレクター達にシンパシーと憧れを感じるんです。
それはいわゆる「和の文化」とか「万世一系の大和の国」的な大仰なものでなくて、「なんかさあ、こんなに赤とか金とかでデコらなくてもよくね?」なんてつぶやいてる宮大工や庭師だったり、「いや~こんなに過剰に装飾しないほうがイケてるっしょ」と時代を先取りしてモダンデザインに邁進する茶人だったりを思い浮かべるときの具体的なイマジネーションなんですよね。
だっていたるところ戦争したり大火事起きたり、誰が偉いのかもどんどん変わる。そんな時に「華美を競う価値観」から「最小限の要素でセンスを見せる(つまり物的なリスクを抑えて、アイデアと視点で勝負する)」方法論が勃興するのもわからないでもない(勝手な想像ですけど)。
そんな感じの想像を僕たちの時代に重ねあわせてみると、「六本木の高層マンションに住むとか、別にいいし」なんていって廃屋寸前の家をアヴァンギャルドに改装したり、「デザインなんて重要じゃないし」なんていいながら、包装紙も多色刷りもない超絶簡素なパッケージ作りに精を出すデザイナーだったりするんじゃないかなぁ…なんて妄想したりするのよね。
「日本的なモード」とは何なのか。
ヒラクの解釈でいうとそれは、過剰を排して「簡素にする」という行為を「過剰にする」という一捻りしたモードなのです。
ね。なんか今こそ蘇りそうな気がしません?そういう価値観。

Pocket


【CONTACT】お問合せはこちらからお願いします。

お名前 (必須)

メールアドレス (必須)

お問合せ内容 (任意)


※送信する前にこちらをご一読ください→

メッセージ(任意)