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『借りを返す』という生きかた

こんばんは、ヒラクです。

突然やってきた春の陽気に、さっそく体調を崩してしまいました。
なので、毎日仕事は底々に切り上げ、物思いにふけっています。
さて、今夜は長らく考えてきた「そもそも論」をお話したいと思います。

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「借りを返す」

これが、僕たちの世代(20代~30代前半)の生き方です。
何の借りを返すのかというと、「僕たちの親と祖父母の世代」の借りたものです。
では、親と祖父母の世代はどんな生き方だったかというと、「お金以外のものを担保にして、お金を借りる」という生き方だったと僕は考えています。

現在超シビアになっている、生態系だったり、共同体だったり、景観だったりの問題があります。
具体的には、化学肥料を投入しないと成り立たない瀕死の畑だったり、埋め難いギャップでコミュニケーション不能になった世代間断絶だったり、日本中の国道沿いに立ち並ぶ回転寿し屋さんやサラ金やドラッグストアの巨大チェーン店からなる景観だったり。

ヒラクはこれを「借金のカタ」と定義します。
「モノを増やす=経済的に豊かになる」という融資を受けたために、こういう現象が生まれました。

僕はあまり世代を批判するのは好きではないのですが、と断りを入れた上で。
親や祖父母の世代は、モノやお金の、定量化しやすい豊かさを手に入れるために、定量化できない豊かさを担保にして「借金をした」と思うのです。
で、どうなったか。確かにお金(=GDP)とモノはものすご~く豊かになりました。世界でも指折りです。

ところが、そのために支払った犠牲は思いのほか大きかったのでした。
このまま今の生産→消費サイクルを続けると生態系と人のメンタルコンディションは破局を迎えてしまうのです。
しかも、お年寄りが増え若者が減る現状を踏まえれば、生産しても消費する人がいなくなるわけですから、経済的にもこのサイクルは成り立ちません。

消費人口が増える→モノを増やす→経済規模が大きくなる→大国になる

のプロセスのなかで発生した諸々の弊害を解決する=借金を返すことが、この世代の最大の課題になります。

もちろんそうでない道もあります。
モバイルゲームのようなIT産業の中のニッチ領域だったり、情報インフラだったりは借金ゼロの新しい産業と言えるでしょう。
自分たちで歴史を作っていける領域はとても魅力的です。が、「問題解決」を信条とする僕としては、この「借金を返す」という作業が本質的に思えるのです。

経済成長に背景で損なわれた生態系や景観や地場産業を再生しつつ、高齢化で減っていく労働力やクリエイティビティを補いつつ、ガッチリ固定された既得権益をゆるやかに解体しつつ、アジアを中心とした海外の動きも横目で見つつ、既存の産業のイノベーションを行っていく。

こういう作業が必要になってくるのだなと、思います。

人生は、自分の生きている時間で完結するわけはなく。僕の親の、そのまた親の、そもまた先祖の…という風に川に流れのように連鎖しているものです。だから、常に全てをゼロベースで考えられるわけではない。常に前の世代の借りを何かしら返していくのが、『歴史を生きること』だと思うんですね。

でも、僕は「前の世代」に対してこう言いたい。この「借り」はあまりのもひどすぎます。

ひどいとは思うけれども、僕の世代できっちりと返しましょう。
なぜなら、僕の「後の世代」に対してこの不条理さを味合わせたくないからです。

英国人のマイケル・ファラデーが、力学的エネルギーを電気に変える能力を備えた人類最初の発電機を発明したのは、わずか173年前のことだ。合衆国で最初の、今では空井戸になってしまった油田は、ペンシルバニア州タイタスビルで、エドウィン・L・ドレイクによって発見されたが、それも145年前の話。ドイツ人のカール・ベンツは、人類初の内燃機関駆動の乗り物を開発したが、それもわずか119年前の出来事なのだ。
アメリカ人のライト兄弟は、周知のとおり、人類初の飛行機を発明して飛んだ。101年前のことである。飛行機にはガソリンが必要だった。そろそろあの魅惑的などんちゃん騒ぎの話をしたくなったでしょう?

残念でした。

化石燃料は、あまりにも簡単に燃えてしまう!そう、そしてブッシュとケリーが遊説しているときも、我々は残り少ない燃料のひと吹き、一滴、一塊に次々と点火しているわけだ。全ての灯りは消えようとしている。電気もやがてなくなる。あらゆる形態の移動手段は停止し、地球はやがて骸骨と骨、動かなくなった機械で覆われることになる。

もはや誰も抗うことはできない。ゲームに加わるには遅すぎる。宴を台無しにしてはいけないが、真実に目を向けよう:我々は、空気や水も含めて、まるで明日などないかのように地球の資源を無駄遣いしてきたので、今では本当に明日というものを失いつつある。
さて、ダンスパーティーはもうお終い。でも、お楽しみはこれからなのだ。

<カート・ヴォネガットの2004年のインタビューより>

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