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「芸能者」のテクニック。

こんにちは。祝日の金曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は家の近所のカフェでお昼からワインを一杯やりつつ仕事をしています(「勤勉かつ優雅」という、新たな境地をアピール)。

さて、このブログ「連日更新」をするようになって2週間が経ちます。そのあいだ、クライアントワークにかける情熱をもって毎日緻密にアクセス解析をかけてみたのですが、連日更新をはじめた当初は「お、ようやく真面目に書く気になったか」と集まったインタレストが、日を重ねるごとに「よくやるなあ。今度ヒマできた時に読もか」てな風に、だんだん「こいつめんどくさい」と見放されることがわかってきました(泣)。そこで出た結果が、昨日の「めちゃめんどくさい記事」。

ここ2週間で最低に近い訪問者数にして、なぜか過去最高のアクセス数。つまり、ごく限られた人が「なんだ今どきこんなめんどくさい事を書くヤツは。他はどんなもんか読んだろ」といって、各人が平均7?8記事を読んだ計算になります。これはある意味すごい。「最近の日本人は本を読まない」といって嘆く知識人のオッサンよ、有益かどうかはわからないけど、こういうややこしいものを(本じゃないけど)好んで読む人はまだ一定数いるのよ。だから、お元気出してちょうだいね。

さて、そんな次第で最近意識的にアウトプット量を増やしているのですが(本業のデザイン業のアウトプットも増えている)、本人としては「まだ足りない」という感じがしています。

それはクオンティティの問題もあるけど、たぶんもっと「感覚的」なもの。端的に言うと、「アウトプットがインプットに追いついていない」という実感です。

例えば木村カエラの曲を聴いた女子が「あ、これ私のこと歌ってくれている」とか、ニーチェとかキルケゴールを読んだ文学青年が「これはオレの鬱屈を代弁してくれている」とか思うとするじゃないですか。よくよく考えたらこれって不思議な現象じゃないですか?「お前のことだったらさっさと自分で言えよ」ってなるじゃないですか。なのに、カエラちゃんが歌ってくれてはじめて「私」が立ち上がってくる。この現象が起こる原因を、僕は「インプットとアウトプットのギャップ」にあると思います。

つまり、「聴くとわかるけど、自分からは出てこない」。道で英語で何かをたずねられたときに「相手の言っていることがわかっても、自分では何も言えない」感じです。

それがどうしてだか、理由はよくわかりません。ただ、確実なのは僕たちは「デフォルト状態では、インプットがアウトプットより勝っている」という状態です(ちなみに補足すると、四六時中しゃべくってるあのおばはんはどうなのよ、という「量の問題」ではないですよ。認知のレベルにおいて、自分が表現できない高レベルのものが、なぜか聴いたり読むと理解できてしまう、ということです)。
これは、生物学的にいうと「子供が大人に成長するために必須のアーキテクチャー」なのでしょう。こいつがないと、泣く以外にアウトプットを持たない子供が歩いたりしゃべったりするわけがない。

だから、カエラちゃんの至った認知レベルを歌という形式で受け取った瞬間、「私」のものとして血肉とし、後日友達と恋バナするときには、その認識レベルの見識をお友達に披露できる。そしてそれを聴いたお友達は…というループ。
僕は年来このアーキテクチャーに注目してきました。

そして、最近挑戦しはじめたのが「アウトプットとインプットのレベルをイコールにする」という、自然の理にある意味反した企てです。それは、極論「感じたように表現する」の一言に尽きます。生活のなかで日々生じる感覚ないし思念を超シームレスに外へ出す。それだけです。それだけなんだけど、こいつがとっても難しい。

で、そのためにはテクが要ります。そしてそのテクを身につけるためには量がいります。だから、アウトプットの絶対量を増やしていく…てな結論にいきついた瞬間に合点がいきました。

そうか、こいつが「芸能の道」というヤツなのだな。「わかっちゃいるが、表現できない」というのは芸能者ではないのですよ。芸能者は「わかっていることは、表現できる」という確固たる技能と自信を備えているからこそ、称えられるわけです。あるいはこんなことすら考えられます。
真の芸能者は、すでに「アウトプットがインプットを超えている」。

自分のなす表現を「なぜそうやるのかわからないまま、ものすごく高次元で実現」する。実現した後に、後付けでそれを認知(インプット)する。レアルマドリードのC.ロナウドが接戦を決定づけるものすごいヒールキックのゴールを決めた後のインタビューで「どうしてあのシュートをしたのか、よくわからん」と言っているようなもんです。これはすごい境地です。

というわけで、僕は期せずして「芸能の道」に足を踏み入れようとしているのかも。まずはアウトプットをインプットにじりじりと近づけ、その後あわよくばインプットを追い抜かす瞬間をうかがう…。それまでは、修行のようにブログで「思考訓練」をしてみることにします。

…ちなみにその後辿りつく「芸能の道」ってなんじゃろな?「デザイナー」ではない気がするし、「学者」とか「講談師」とかでもない気がする。もしかしたらそれが昨日の記事の結論である、中世の阿弥衆のニアリーイコールの「新しいボキャブラリー」に属するサムシングかもしれません。

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