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「大事」は出し惜しみしたい

こんばんは、ヒラクです。
今日は重箱の隅をつつくような話を一つ。

近頃気づいたことなんですけど、「大事なことは〜」ていう枕詞を多用しすぎることって、よくあります。
一分間に三回くらい「大事なのはね」なんて言ったりすると、聞く側からすると「大事じゃないことはあるのか!?」っと突っ込みたくなることもしばしば。

「困ったもんだ」と文句を言う前に、今回はその「大事」の乱発現象を腑分けして見ていきましょう。

まず基本的に、「大事」の機能は「強調」と言えるでしょう。
文字でいうと、太字にしたり、アンダーラインを引いたりする感じです。受験の時のノートを思い出してください。強調をすると、当然「ここが大事なんだな」と思うわけです。そうなると、注意深く聞いたり、記憶しようとする。たくさんある要素のなかから、重要度の高いものを選り分けて、優先順位をつけていく。

そのしるしが、「強調」であり、「大事なのは〜」発言なわけです。コミュニケーションにメリハリを付けようという工夫なんですね。

ところが、ここに「パブロフの犬」的現象が起きてくる。
「大事」なものを「強調」するはずが、「強調」してあるものは「大事」であるという転倒が起きる可能性が出てくるのです。
目的と手段があべこべになっていってしまうんですね。
「大事なのはね」というと、無条件に聞き手の注意を引きつけることができる。
こういう事を、戦略的に利用しようということになっていくわけです。

さらに厄介なのは、注意深く「大事なのは〜」乱発現象を見ていくと、話し手はたいがいそれをあまり意識していないことに気づきます。

日々のコミュニケーションのなかで「大事なのは〜」を言うと、注意の矢印が向くということに気づき出すと、無意識のうちに「大事なのは〜」を枕詞にするようになってしまうのです。
それが、そこまで大事でないにしても。

これって、困ったら髪を掻きむしったりしてしまうような、コミュニケーションにおける一種のクセみたいなものです。
クセになってしまうと、自分では気づかないのです。「大事」がありすぎて相手が混乱してしまっていることに。

こういう現象が、世の中にたくさんあります。で、僕はこれに対して結構危機感を持ったりしているんですね。
なぜかというと、「大事なのは〜」の威力に頼っているうちに、だんだん自分のなかで、情報の優先順位を付けていく力が落ちていく可能性があるからなのです。

「情報の優先順位を付ける」ことはつまり、相手に対する「理解の導線をつくる」ことを意味します。
それは、枕詞や形容詞ではなく、あくまで情報の文脈できちんと設計しなければいけないものだと思うのです。

「強調」は実はここ一番の飛び道具であって、普段は出さないようにするのが自分にとっても相手にとっても有益なのかな、と最近感じています。

原稿用紙一枚ぶんくらいのページに、太字や赤字の単語が1つか2つ乗っている。当然のその文字を優先的に見ますよね。
では、それがページに10個乗っていたとする。正直多すぎて覚えきれない。そうすると、「強調」することのもともとの意味が失われてしまったりして。

…考える事に手を抜くと、しばしばこういうコミュニケーションになってしまうんだよなあ。気をつけようっと。

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