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「ブレンド経済」の萌芽。

一晩経って昨日のブログを読み返したら、違和感発見。なので、今日は昨日の話の続き(これぞアウトプットからアウトプットが生まれる状態ですね)。

「勝つ」とか「追いつく」っていう「議論の前提」になっているものは、「誰が」「なんのために」「何に」という補足が必要でしたね。これをちゃんと定義しないと、論理の運びが不明瞭になってしまうのでした。で、「誰がなんのために何に追いつき、そして勝つ」のか。

「日本が経済大国になるために、グローバル・スタンダードに追いつき、そして経済競争のなかで勝つ」。これが極言です。経産省のお役人が言っているのも、経営コンサルやリバタリアンの経済学者が言っているのも、つまりこういうことです。

キーボードを打つだけでなんかしょうもない気分になる文章ですが、とにかく「好き嫌い」「正しい正しくない」は置いて、詳しく考えていきましょう。

「日本が経済大国になるために、グローバル・スタンダードに追いつき、そして経済競争のなかで勝つ」という命題のなかには、もう一つの「わざわざ言わなくてもわかるだろ?」という前提があります。それは、「グローバル経済圏のなかで戦う」ということです。で、ヒラク的には、昨日の記事で言いたかったのは「グローバル経済圏のなかで戦う」って、「必然」ではなくてあくまで「ワンオブ選択肢」じゃないのかい?ということだったのでした。これ、そもそもの「土俵」の話だから、しっかり補足しとかないとね。

僕も「デザイナー」という商売柄、海外の国にある企業と、仕事のうえで関係することはままあります。ナショナルブランド以外でも、外国にプロダクトやサービスを売っていこうとする流れは必然のように語られる。理由として「国内市場はどんどんパイが減っていく。だからアジアとかヨーロッパでガンガン外貨稼いでこうぜ」ということ、なので、中小企業の海外戦略のためのブランド作りとかアートディレクションをお願いされることがあるのです。

まあね。僕はその流れ、否定はしないけど。それを全面的に正として「当たり前のスタンダード」にするもんでもなかろ。と思うんですね。

昔、ハワイの経営者のグループと話をしたときは「ハワイでは観光以外に産業がない。だから、アメリカ本土+アジア・オセアニア圏の市場に出ていく」という理屈は理解できたんですよね。シンガポールとか北欧とか、極端に小さい国でもそれはわかる。でもさ、日本って、30年後まで人口が減り続けても、いちおう1億人ぐらいはいる予想なんですよ(高齢者の比率はたしかにすごいけど)。

だから質は変わったとしても「1億人のマーケット」は存在している。

それをふまえると、「だったら消費の質を変えて、30年後のマーケットにじわじわ最適化する」みたいな選択肢もありだと思うんですよ。その選択肢をベースにして、その上に対アジアなり対他の国との貿易を「プラスα」で考える。僕はそっちのほうがリアリティがある気がします。

というのもですね、僕がいまアートディレクションや商品開発に携わっている「地営業的」なるものはなべて「遠いところで消費しないほうがいいもの」だからなんですね。東京の木材。わざわざストックホルムのデザインホテルをつくるために輸出しなくてもいいじゃないすか。手前みそ。パリに送るためには、発酵を止めて防腐剤を入れないと検疫を通れない。

人間の営みの「基礎」を成すものは、こういう「生産と消費の距離が近い」ものでまかなった方が必然性があるわけです。で、プラスαは何かというと、電化製品とか嗜好品になる。通信機能のついたガジェットとか葉巻とかスコッチのシングルモルトとかロゴの入った皮のバッグとか(なんだ、だいたい空港の免税店で打ってるヤツじゃん)。

考えてみれば、日本の経済のここ20年は「生活のベースになる日用品を、遠いところから持ってきて」、「自前でつくる付加価値の高いプロダクトを海外に売る(最初アメリカ、次に東アジア諸国)」方向に舵を取って来たのです。そっちのほうが「効率が良い」とされていたのです。付加価値の高いものを売って稼いだ大金で、海外の安い食品とか木材とかを買う、という構造です。

リバタリアンは、手をかえ品をかえ「このこと」を繰り返し「やれ」と言う。

僕はいやだ。もうそんな暮らしのクオリティと健康と風土を破壊する不自然なことはやらんぞ。それは、一時的には「儲かる」かもしれない。だけど、それをやる上で「ていねいな暮らしの質」とか「メンタルヘルス」とか「コミュニティ」とか「地域の風土」という「定量化=現金化しにくい」リソースを超高速で消費しまくったツケはでかい(おお、4つのタームはどれも本屋さんで平積みされるホットな話題だ)。どれぐらいでかいかというと、思わず合同会社++を立ち上げてしまったぐらいでかい。短期的にとにかく儲ける「プロフィット」と、とにかく儲けるために消耗したものを復元する「コスト」の天秤が、反対のウェイトに移りつつある。だから「今の経済モデルを効率化・高速化せよ」という手合いの言うことは信用ならんね。

…さて、そうであれば、一体これから我々はどうなるんでしょうか。

多分、答えは超身近にある。具体的にはヒラク及びヒラクの周りにいる朗らかな人たちのあいだで始まりつつあるやりかたを見るとわかってくることがありそうです。

それは大づかみいえば「貨幣経済」と「贈与経済」がブレンドされたものです。

モノを買うときは、比較的しっかりした値段のプロダクトを買う。そのプロダクトは、「生産及び流通の由来が公開されている」もの、さらに「生産の場が近く、生産される土地の共同体への利益還元」が保証されているものになる。つまり「何に対して対価を払っているか」「それを買うことが応援になること」が明瞭なものを納得して買う。これは「貨幣経済」の仕組みにのっとっているんだけど、ポイントとしては「利己的に消費する」ものではないものがトレンディになる(詳しくは、この記事を再読あれ)。一方で、生活に必要な色々なものを「交換」したり「贈与」したり「共有」したりする。

例えば、僕は三鷹の野菜を定期的におすそわけしてもらっている一方、知り合いがつくったオーガニックコットンの服を、ベネトンとかGAPより高い値段で買ったりしている。そのかわり、たぶん高級車とか買わないし、車自体を共有するかもしれない。

友達や家族、地域の人と「コミュニケーションのレイヤー」を重ねることで、「モノの私有」の割合を減らす。そして、何か買うときは「必然性」を求める。必然性があれば、ちゃんと対価を払う。「単にお金を使って快楽を求める」ような消費の割合が減る。そうやって、「貨幣経済」の目減りぶんを「贈与経済」でカバーするという「自然適合」は、もう現実に始まっている。

これって、「お金それ自体」と「お金を使って手に入るもの」をトレードオフしているのです(ちょっとややこしい言い方だけど)。つまり、全ての「必要とされるもの」に「お金を介してアクセスする」以外にも、知り合いにお金を介さずに「ダイレクトにアクセスする」みたいな感じになると思う。

だから、家で言えば、不動産屋さんに敷金礼金仲介手数料払って入居するんじゃなくて、友達のとこ行って、「あの空いてる部屋、借りていい?」と聞く。「いいよ」ということになったら、不動産屋さんとの「お金を介した関係性」がすっ飛んでしまう。そのかわり「他人と生活を共有する」という、プライベート100%の生き方を変える。そんなことがごく自然になっていく。

さて、僕はこれでも「ドメスティック経済は成り立つ」と思うんです。

だって、「必然性のあるプロダクトを買った対価」は、海外の投資家に流れていくことは考えにくいわけで、かならず「生産に携わるひと」と「生産の母胎となる風土」にフィードバックされる。そして、交換したりシェアすることによって支出も減っていく。なので、どこかの時点で「生活に必要なお金の収支」の総額が小さくなっても「体感としてはそれでもOK」という最適値が設定されていく。

僕は昨日言ったように「ヘラヘラ笑って鍋つつく」ことによって「その共同体はグルーヴィーになる=栄える」と思っているので、このようなアナクロな経済でも「意外に幸せ」な状況になるんでないか。非常にラディカルですが、ヒラクはこんな風に考えているわけです。

「おい兄ちゃん、楽観的にも程がある。そういう経済って「コミュニケーション力無いヤツ」は享受できんとちゃうか」。

はい、おっしゃる通り。来るべき「ブレンド経済」は「あっけらかんとしたコミュニケーション」がかなり強力なリソースになる。だから、いま始まっているのは「コミュニケーション力の強化」ではなく、「どんな風にコミュニケーションしても受容される場所づくり」なのですよ。

なので、たくさんの未来ある若者たちがNPO法人を立ち上げる、あるいは旅芸人と化して諸国を遍歴する、さらには会社を立ち上げてワークショップ技法を開発したりするわけです。

彼らの「人の役に立ちたい」という正論に惑わされてはいけない。それは実は「未来に自分がサヴァイブしやすい環境づくり」の、アーリーステージにおける投資行為であり、一周まわって「利己的」な行為なのよ。うふふ。

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