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「テーマ」から「つながり」が生まれる

こんばんは、ヒラクです。
昨日の「つながり」の話、まだ色々と考えている事があります。
前回の記事は、「つながり」のありかたのニュアンスの話ですが、それとは別に、「どうしてつながりというものが生まれるのか?」という問題も見逃せないところです。最近僕が考えるのは、つながりって「結果」でしかないのではないか、ということです。最初に「つながり」が目的としてあるのではなく、何らかの現象の結果として「つながっている」ように見えるのではないか。
…ということに思い至ったのは、抽象的な仮説ではなくて。
例えば、山中湖で宿をやっているナオくんや、宮城でふゆみず田んぼの復興をしている岩渕先生たち、普通に見ると、たくさんの「つながり」を持っている(ように見える)人たちと接していると、ナオくんや岩渕先生は「つながり」を作ることを目的に日々活動しているわけではないことがわかります。
例えば山中湖、富士の地域風土。例えば、宮城内陸の生態系やふゆみず田んぼのシステム。自身が避け難いテーマと一生懸命向き合ううちに、そこに賛同する人たちが自然発生的に生まれてくる。それを外から眺めていると、「あの人は、色んな人をつなげているよね」という評価になる。
でもそれって、本質ではないと思うんですよね。つながりは結果でしかなく、本質は日々の、自分の抱えるテーマに取り組む具体的な行動にしかない。
言い換えると、つながりとは、何かしら具体的なテーマの「求心力」、あるいは「説得力」に付随して生まれてくる、ということです。それをさらに言い換えてみると、「つながりたい」という願いは、「求心力のあるテーマ」、「具体的なアクションの切り口」が欲しい、という風に言い換えてもいいかな、と思ったりします。
ややパラドキシカルな考えですが、ヒラクとしては「つながりたい」という抽象的な願いの裏には、「具体的なテーマが欲しい」という無意識の欲求が内包されていると思うのです。
けれども、具体的なテーマを自分のなかで引き受けた時に生まれるには、続けるための覚悟と他人からジャッジされるというリスクです。そのリスクを無意識に勘定した上での「つながりたい」であるとしたら。
…それって、本当に絵に描いた餅でしかないと思うんですよね。
自分がいま一番興味があるのは、「つながり」の磁石に(結果的に)なっているような、具体的なテーマと日々格闘している人たちです。僕はそういう人たちを「地営業者」として、もう少し掘り下げたい。
「関係性」は、つねに何かしらの「モノ」から生まれていきます。ヒラク個人の興味として、常にその「具体的なモノ」にアプローチしていきたいな、と思うのです。

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