▷デザインを考える

「あいだ」にある「もの」 その2

では、意味をどうやって作り出すのか。

ヒラクの経験からいうと、情報やロジックからなる内容を「表現」することなのです。大きくわけると、それは二つに別れます。

一つは、「ものがたる」ことです。そしてもう一つは、「象徴」すること。

前者は例えば、仏陀やキリストやモハンマドの協議を物語にすること。華厳経や聖書やコーランに当たると思います。あるいは、村上春樹の小説なんかは、日常生活の感情を巧みに「ものがたり」にしていると思います。

飲み会でみんなが耳を傾ける、話の上手い人は無意識に自分のエピソードを「ものがたり」化しています。

前者を連続的・時間的だとすれば、後者は断絶的・空間的なアプローチをします。宗教でいえば、卍や十字架です。サッカーや野球チームのエンブレム、ジャニーズのブロマイドなんかもそうでしょう。例えばデザイナーの佐藤可士和さんなんかは、広告でこれをするのがとっても上手い。

二つとも「表現」と総称されて、無味乾燥な情報を興味に結びつけて、強力に記憶させる作用を持ちますが、性格は違います。

「意味」は、このどちらかでも発動しますが、二つが絡み合うとさらに強力になっていきます。

例えば、聖書のものがたりには、十字架にはりつけになるキリストの挿絵がつき、ミサをやる教会の屋根には十字架がついています。そのうちに、十字架という「象徴」を見るだけでキリストの「ものがたり」が呼び出されるようになります。

チェ・ゲバラやセックス・ピストルズのTシャツはただの「モノ」ですが、そこに象徴作用が働いて「革命」とか「反乱」とかいう青少年を惑わす物語がくっついてくる。

商品の広告CMにやたら有名人が登場するのは、この効果を狙ったものです(よく失敗しますが)。

既に象徴化している「アイコン」に、どこどこの会社のサービスなり商品なりブランドイメージを乗っけて、「表現」として市場に流通させる。
なぜかというと、前に書いた通り、ただ理屈で商品の理を説くよりそっちの方が強力に作用するからです。


そう考えてみると、「宗教」と「広告」は似ているところがあります。

教義という情報があり、ものがたり化し、そいつを象徴するイメージを作る。
商品という情報があり、ものがたり化し、そいつを象徴するイメージを作る。

こう書いてみると、だいたい同じです(笑)。

と、考えていくと「メディア」というものも具体的に見えてきます。

メディアの本質とは、意味=ものがたりとアイコンが流通する仮想空間ということになりそうです。

目的は、宗教の場合は教義の普及、広告の場合は商品の販促。名目は一緒で「人間の幸せ」のためです(笑)。

僕自身アーティストのはしくれなので、こんなこと言ってしまうのは気がひけますが、アートがコマーシャルに使われるようになる前から、宗教に使われていたのでした(汗)。

【さらに続く】

Pocket